日記

公開型日記

聞かせて未来の話

フォロワーが「2017年8月20日は二十世紀少年で地球が滅亡する日だ!」と言っていてそうだ!となった。私が知りうる限り、フィクションノンフィクション問わず具体的な世界の終わりを示していたのはノストラダムスと2012年のマヤ文明のヤツと、二十世紀少年だ。

 

1999年のノストラダムスは残念ながら記憶にない。

2012年の12月22日の夜。日付をまたぐ瞬間ベッドの上で時計の針が23日になるのを見ていた。割と本気にしていたと思う。ポジティブではなくネガティブな方に。

わたしまだ誰のこともすきになったことないし、そうだ好きになったバンドを観にいったこともない。まだやりたいことがある人を滅ぼすなんてどういうことなんだよ!みたいな。まぁ今は知ったこっちゃないっすけど。

 

自分が死ぬ時のことを考えると血の気が引く。自分という存在が滅亡した時のこと。大好きな人が死んだ時のことを想像しても「あんまりよくわからないなぁ。なってみないとわからないなぁ。」とか思うんだけど、自分のことになるとただ「こわい」という感情に支配される。記憶も感情も無くなるから「こわい」と思ったところで何も無いんだけど。寿命がどんどん長くなる現代に生きる私たち若者は不死者になれるのだろうか。百年後の未来も確認することが出来るのだろうか。想像した夢のような話も現実になるのだろうか。私の隣には好きな人がいるのだろうか。

汝なめられるべからず

ナメるとかナメられるとかみんなそんなこと気にして生きてないと思うけど、要はプライドを持って生きているかってことだよ。

 

ナメられてはいけないという気持ちは「自分の大切にしてるものやポリシーを傷つけられてたまるか」と思うことだと私は認識している。

わたしは私自身を大事に思ってるし自分の中の変えたくない部分やそれを解ってくれる人たちとかそういうのも大事だともちろん思っている。そのせいで友達いないけど。

 

初対面だったり、初めましてや顔を知ってる程度の人からしたらわたしはどうやら怖いらしい。意識してるからそうなんだけど。だって、なんで初対面でニコニコしなくちゃいけないんだろうか。初回から心を開かねばいけないのか。謙ってまで生きる必要はあるのだろうか。

雑に自分の心の鍵を開ける人は、人に対してもそれを求める。わたしは丁寧に心の鍵を開けようとしてくれる人としか付き合いたくないし、だからそれを篩にかけるためにも「こわい」ことを演じていふしがあるかもしれない。

心の鍵を正しく開くには、やっぱり優しさが一番なんじゃないかなと思うよ。あと多少のひねくれ。

なめてかかってくる人は、他人にもナメられてるような人だと思うし、そんなプライドのない人きっと周りにいたら嫌だとわたしは思う。

書いてたブログが全消えしたので落ち込んでる!

 

 

箇条書する。

 

・ しんどさは精神の風邪だから病院に行こう

・ メンヘラをコンテンツにした人は罪深い

・ 手首を切るのもオーバードーズでもなんでもいいからその人が救われることを願う。

 

気が向いたら消えた記事を再現したい。

 

あぁ残念だなぁ

就活に疲れて「もうラーメン屋でもやるよ。」と光の消えた目で言っていた友人が内定をもらったらしい。「そうかー!よかったね!」と言えたし、心の中でも嬉しかったけど、なんとなく寂しかった。動かないのは自分の意思でなのに、なんだか置いていかれたような気がしたし、わたしは本当にラーメン屋をやるなら手伝いたいなぁとか考えていた。相変わらず何も進めない自分が憎いなぁと思うし、それでも殺してくれない世間や社会や地球は怖いなあと思う。

キリンが生きるために首を伸ばしたとか、時代の流れに逆らえず死んでいった過去の生き物たちや、様々なものが足されたり殺されたりするのに人間の鬱などは消えて亡くならない。鬱などは遺伝もあるということは有名なので、地球が物凄い何かしらの力を持っていたとして、磁力や宇宙からくる電波などによってその劣勢遺伝子を見つけ出して滅ぼすことくらい出来そうなのにね。「頑張れば治るよ」と言われているようにも感じる。地球のタフさに合わせないでほしい劣勢地球人の呟きでした。

宗派の違いにより解散

同じものを好きでも見方が違えば仲良くなれないのは当然である。

同じものが好きだ、ということは共通点に過ぎない。

宗派の違いがあるのに人はなぜ仲良くしようと頑張るのだろうか。同じものが好きというただの共通点はそんなに拘束力のあるものなのだろうか?戦争にさえならなきゃ普段関わりなんか持たなくてもいいのに。

 

宗派の違いを見出してしまったらその場で解散すればいいという話でした。

もう辞めようそうしよう

タレ目に憧れて長めに引いていたアイラインも

ひよって買ったオフィスカジュアルも全部やめよう。

 

ツリ目上等。人から気持ち悪がられても臓器柄の服は着続けるし(でも好きな友達がグロイの苦手なので、そこは考慮したい。好きだから。)意味のわからない服を着続けよう。

 

読みたい本を読もう。学びたいことを学ぼう。

やりたいことをしよう。それで貰えるお金が少なくとも。

 

大人になるということは少年少女の時に感じていた痛みを麻痺させるようになる事だと、誰か言っていた。

そうやって麻痺させて、感じていたことが解らなくなるものが多くなるなら私は大人にならなくていい。

 

痛みと対価に得られるものが、何にも変え難いものなら痛みを感じたままでいい。

 

生きるのは上手くならない

煙を吐くことだけは半年前より上手くなりました。それでも生きるのは上手くならない。

 

きっと新卒採用する気ないんだろうなぁという企業の「5分」の面接を終え、「あーあ、何してんだろう」という気持ちのコップが溢れ出てしまった。

 

そんなこんなで天国に来ている。お金はない。何だかんだ、こちらの店の方が好きである。

 

改札を通り先ず、することは少し歩いた距離にあるスーパーに行くこと。安いから。

回り道をして深呼吸をしながら街ゆく人を見る。パンクスとか、パンクスとか、パンクスが歩いているのを見てなんとなく気持ちが落ち着く。(平日のこの時間にモヒカンって彼は今から何をしに行くんだろう)

 

店は少し混んで(?)いて、店員さんは初めて見る人だった。スペインとのハーフだって。

 

席に荷物を置き真っ先に着け慣れないネックレスを外す。

トイレに行きたかったことを思いだす。

トイレを出てお目当てのマンガを見つける。

今日は誰にも読まれていなくて嬉しい。

 

新しいフレーバーが想像以上に美味しかった。お兄さんのおすすめ、間違い無し。

 

周りを見渡すと同年代くらいの人たちしかいないことに気がつく。普段みんな何してるんだろう。

 

暫く漫画を読んだり、LINEをしたりしてみる。

 

 

ふと振り返ると黄色い電車がちょうど発車する所だった。それだけでもうなんでもいい気がした。

 

普段、自分から何かを振るということは無いんだけど何故かここに来ると会話をしてしまう。しかも精神に負担がかからない。きっと扉をくぐった瞬間に魔法にかかるからだ。

 

怠惰でいたい訳じゃない。私だってきちんと生きたい。社会では。我儘だろうか。我儘だろうなぁ。

 

週に一度の地下室での天国と、煙にまみれた天国があればそれでいいだけなのになぁ。