遺書に変えて

人生が楽しくてどうしよう!

もう年に一回くらい地獄のような気分を味わうのにも慣れた。なので人生が楽しくて仕方ない。

 


何回でも何回でも言うけれど、学校にも行かずにフラフラしていたわたしが好きな人に囲まれて暮らしているのは本当に奇跡のようだと思う。一般的な人から見たら欠けてる部分もたくさんあるかもしれないけど、(別にそれは人に言いふらすことではないので詳しくは言わないけど)それでも足りないなりに頑張って補おうと意地と根性でどうにかした結果がこれなので、わたしよく頑張ったなと思う。

 


遺書に変えてというのは死ぬのではなく、まぁこんだけ楽しけりゃ死ぬ気も失せるわけで。

でも抗えないもので明日原チャに轢かれたり、心臓発作を起こしたり、死なないという保証などどこにもない。

きっとこうやって繋がっている人には私の死の報告なんて行かないできっとふと消えた人という認識になるのだろう。

そんなの嫌だし「あ!あの子にあれ言ってない!」なんて思って死にたくないし、そんなの死ねないし。化けて出てこられてもきっと困ると思うから、定期的に遺書を書きたいと思う。

 


大好きな貴方へ

日々お世話になっております。ありがとう。

甘やかされて大変楽しい人生です。

チョロい!と思いつつ、甘えた状況にふわふわしている自分にもなかなか危機感を覚えるようになりました。向上心と野心を持ちたい。

これからも可愛いっていって!!!すごいっていってね!!!その分私は貴方に優しくなります。ギブアンドテイクしていきましょう。

 


嫌いな貴方へ

ただ一言。

方が緩んだらすぐ刺すから待ってろ。

私が先に死んだらちょこちょこアスファルトの上で転ぶように仕向けてやる。

 


特大好きな貴方へ

死んだら遺産をあげます。(それは正式な遺書にも書きますからよろしくね!)

どうか貴方の好きなように使ってください。

嫌いな人がいたらどうか部屋の中で1人その人の名前を呟いてください。

アスファルトの上で転ぶように仕向けます。

 


以上、遺書に変えて。

長続きするかわからないけどとりあえず4月からの働き口が見つかってよかった。

本当にタイミングが神がかってたな。

好きな人たちが喜んでくれるような場所で働けるのでよかった。

中学生の頃の将来の夢がちょっと叶ったので、もしタイムスリップができるようになったら真っ先に中学生の自分に会いに行って「なんとかなるから頑張って泣いたり怒ったりしなよ!」と言ってあげたい。(長続きするかわからないけどね!ほんと!)

 

4月からもパーカーとジーパンで過ごせるようなのでそこも本当によかったー。オフィスカジュアル死ぬほど似合わないんだもん!

前記事について

以前別のブログで勝手にえんそくの楽曲を考察していたことがありました。多分2015年くらいです。あの時は話口調でダラダラと自分の思ったことを書いていたので、読みにくいことこの上ない文章でした。(それでも面白いと言ってくれた方々ありがとうございますね!)

 

大学でほんの少しだけ文章を書くことを学んでいたことや、つい最近まで卒業論文を書いていたこともあり、今の私がまたああいうものを書いたらどうなるんだろうなーという気持ちからファンアートとしての論文を書くことにしました。あと卒論だけ書いてるととにかく効率が悪いので気分転換がてら別の文章書きたいなーと思っていたので。

分かっているかと思いますが、あくまでも私の主観であり、作者であるえんそくとマンツーマンで話して聞いた訳でもないので正解じゃないです。(当たり前だ)

中盤で宇宙だ何だ平行世界がなんだと書いてある部分なんかほぼ二次創作です。いろんな資料を見て足りない頭でこねくり回して書いたものなので、絶対に学問的に間違っている部分があると思います。未だにフォトンとか五次元の定義とか理解してないし。

でもまぁ二次創作なので許してー!!

 

感想とか批判とかあれば、コメントでもTwitter知ってる方はDMでもいいですしなんでもこい!

多分今後こういうこともうしないので、最初で最後の渾身の11000字です。

 

最後まで全部読んだ方、本当にありがとうございましたー!

論文『ビジュアル系バンド「えんそく」における世界観の考察』

 

 目次

 

 

 

 

はじめに

 

 本論はビジュアル系バンド「えんそく」が発表している作品を独自に考察したものである。作品同士の繋がりは勿論、作品に合わせた登場人物、世界線についても触れていきたいと思う。

 

 本論はえんそくのいちファンの考察であり、「正解」ではないことを念頭に置き読んでほしいと思う。

 

平成30年2月21日

 

 

 

えんそくとは

 

 本論で扱う「えんそく」とは、2005年、Ba.ミド中心に結成された日本のビジュアル系バンドである。

 メンバーはVo.ぶう、下手Gu.クラオカ ユウスケ、上手Gu.Joe、Ba.ミドの4人である。現在Dr.はサポートであり、通称モリヤマさんと呼ばれている。

 歌詞は主にVo.ぶうが執筆している。楽曲は近年ではメンバー個人の名前を出すことはなく、あくまで「えんそく」として出されている。

 ファンの総称は「E児(イイコ)」。ライブでは曲だけではなく茶番と呼ばれるコントのようなものも披露される。

 聴き応えのある音源も然ることながら、迫力のあるライブパフォーマンスが最大の魅力であり、えんそくの本質はライブハウスに行かねば知れないと言っても過言でない。

 

 

 

楽曲別考察

 

 えんそくの世界観を知るためには先ず、楽曲への理解を深めなければならない。本章では楽曲別に考察する。そしてえんそくの世界観を構築するためのキーワードをピックアップしていく。

 

『橙々電車』

えんそく1st SINGLEである『高尾行き』。この音源のリード曲がこの『橙々電車』である。本楽曲に登場する橙々電車は中央線であり、えんそくの世界観に欠かせないキーワードとなる。この曲と対に(またはペア)なる曲がFORCE MINI ALBUM 「えんそくの大予言」に収録されている『朱色一号』である。

『橙々電車』では隣の家のおねえさんが朱色一号になるまでの過程を歌っている。隣の家のおねえさんは自分の生まれ育った世界に愛想を尽かし、橙々電車(中央線高尾行き)に乗り、行く先を決めず切符を捨て旅に出る。しかしその旅は堂々と出発したものではなく、「人生虚しかった」と言いながら、絶望しながら出た旅であった。そんな隣のおねえさんを陰ながら好いていたボクは、改札に入り切符を捨てたおねえさんの後ろ姿を見ながらも何も出来ずにいる。ボクは、雨が降る日も風が吹く日もひっそりとおねえさんの横顔を見ていた。

この曲には後に出てくる様々な曲の要素が現れている。まずは「切符を捨てる」という行為だが、『最後のえんそく』の歌詞である「ただいまを捨てる」と同意義であると考える。切符を捨てるということはいま来た改札口に戻ることも、到着した駅からも出られないからだ。

 

『となりのオロチ』

この曲に出てくる「オロチ」とはヤマタノオロチをモデルにしたキャラクターである。四方八方にいい顔をしてみんなから愛されたいと願っている、しかしなにか物足りなさを感じている女の子だと考えている。

 この楽曲に出てくる「雨傘」は、『天獄への十三階段』に出てくる「傘もなく取り残された」の「傘」と同意義と考える。

 

『少女怪獣バンギャルラ』

「目を開けてみる夢は諦めるしかないなんて」というセリフは、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」後半、不死者に扮したえんそくがウシノシタ団の見る夢だったという部分が明かされた「実は、雪に埋もれて眠っていただけですべては夢だったのである!」というセリフに通じていると考える。

「薄紅色 狂い咲いた花」は『怪人ラボの夜』にも登場する。キャラクターとしての少女怪獣バンギャルラは1st MINI ALBUM『東京行き』にも通じる。

『ぱやぱや』とセットの曲であり、バンギャルラが物語パート、ぱやぱやがメッセージパートである。(ぶうブログ参照)

 

『イガトラ』

マルコム、マッケンローに並ぶえんそく用語である。詳しい考察については「特筆すべきワード」にて。

本楽曲に登場する戦略十訓とは、広告会社である電通に存在する「こうすれば消費者をいのままに操れる、踊らすことができる」という戦略を十か条にまとめたものである。

1.もっと使わせろ

2.捨てさせろ

3.無駄使いさせろ

4.季節を忘れさせろ

5.贈り物をさせろ

6.組み合わせで買わせろ

7.きっかけを投じろ

8.流行遅れにさせろ

9.気安く買わせろ

10.混乱をつくり出せ

「君を躍らす戦略十訓なんて蹴っ飛ばす為ゆくんだ」という歌詞はそんな誰かもわからないヤツが提示してきた躍らされるための規則なんて蹴っ飛ばす、そんな意味が込められていると考える。

 

1st MINI ALBUM『東京行き』

 『東京行き』のみ、ひとつのアルバムをひとつの作品、楽曲として扱い考察する。1曲目から最後の曲まで世界観やメッセージが一貫しており、えんそくの作品に強く感じられる、この世界をうまく生きるための教訓的メッセージというよりも、フィクションとしての作品としてのイメージが強い1枚となっている。リリース当時、中盤3曲に合わせた土地でワンマンを執り行った。バンギャルラの要素を多く含んだ音源となっている。

 本作品の登場人物は主に2人である。本論では男と女と定義するが、女は途中しゃちほ子に変化する。

『the smoking sad tune』は起承転結の起にあたる曲である。男目線の曲であり、舞台は仙台であると思われる。死んでしまった愛する女と、自分の吐いたタバコの煙を重ねる描写が特徴的である。『ハイウェイ・スター・ラブ』は起承転結の承転の部分に当たる。目線は女。舞台は名古屋。死んだ女の魂がしゃちほこに乗り移り男に逢うために東京に向かう。『ハイウェイ・スター・ラブ』は、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」にて無料配布された際に、東京行きを通しで聴かなくても成り立つよう『ハイウェイ・スター・ラヴ』として再録されている。『東京駅着、逢魔時。』は起承転結の結。舞台は東京。男と女、両者の目線が入り混じって描かれている。リアルタイム感のつよい楽曲だ。『Star ray conjunction』は番外編というような扱いになると感じた。581cというワードが初めて出てくる楽曲にもなっている。

 

『ボクラノ、ハコブネ』 

 現在のえんそくにも通じるワードが多く見られる楽曲になっている。物語よりも教訓的なものが強く出ている。

 

『大銀河戦艦ナガト』

前作『銀のハコブネ』が『大銀河戦艦ナガト』で終わり、本楽曲が収録されている2nd ALBUM『新世界』の本編が同楽曲で始まる。元いた世界からナガトで飛び立ったえんそくが次にたどり着いた新世界、という流れになると考えている。それぞれの世界線で名前が変わり「(銀の)ハコブネ」「UFO」「ナガト」はすべてイコールであると考える。

 

『鋼鉄のMACHIKO~惑星マンダラ戒律地獄篇~』

信仰の安堵、というのは例えばほんのすこしの居心地の悪さを我慢して居続ける教室だとかそういうものだと考える。孤独で居るということは、群れているよりもずっと疲れるものである。群れるということは、そういった日常を生きる上の面倒臭さから生まれる疲れなどを排除してくれる。本楽曲に登場するマチコはそんな面倒臭さや疲れを感じてでも孤独を愛するプライドの高い女の子である。

 

『581c』

登場人物は男子。『鋼鉄のMACHIKO~惑星マンダラ戒律地獄篇~』の主人公と同質の何かを持っている人物だと考える。「朝日さすまで踊り明かすだけ」という歌詞は、『カミュの左手、カフカ右手』の世界観にも通じる。

 

『とってもマッケンロー』

「だいたいが先天的な不条理を抱え」という歌詞に、後天性ならそうなってしまった過程を呪うこともできるが、先天性なら親すら憎んでもどうにもならないえんそくの世界観の「不条理とは」ということを歌った曲だと感じる。「どうしようも無い程JJサニーDAYS」という歌詞に上記の不条理の全てが詰め込まれていると感じる。

 

TDL

「死ぬために歩くだけのパレード」は、『U.F.Oが来るまで』に登場するパレードと同意義だと考えている。アルバム『カミュの左手カフカの右手』に収録されることで、更にこの楽曲の意味が増すと考えている。

 

『君の左手ボクラの右手』

『ゴリラの丘』に通じていると考える。この曲で離した手を『ゴリラの丘』で繋ぎなおしたのではないかと考える。

「いつか辿りつけたなら君と世界中のボクを今度は終わらない物語に招待するよ」は『宇宙大天使土曜日』の「終わりなき終末」なのではないかと考えている。

 

『その後のペテン師』

衣装からわかるようにオズの魔法使いがモデルであり物語の主な目線はインチキ魔法使い。カミュカフカの終演を告げ、次のターンへの誘いとする楽曲。

 ボロボロになった魔法の靴を履いたドロシーが「あの頃バカやってたみんなは離れ離れになったあとどうしたの?」と、問いかけること始まる曲。この楽曲付近から「永遠」や「ペテン」等が出てくる。

 

『最後のえんそく』

「青い鳥を愛でながら あたりまえに死ぬがよい」という歌詞は童話の青い鳥から由来すると考える。青い鳥のあらすじは、「夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を捜しに行く。しかし、結局その幸せは自分たちの身近な鳥かごの中にあった。」この曲ではそんな物語に「鳥かごの中のあたりまえの幸せだけにしか気が付かない、かわいそうな人達よ、そのまま死んじゃえよ。」と、皮肉で返していると考える。

 

『コドナチャダルド~人生の続編~』

 コドモ+オトナ=コドナ、チャイルド+アダルト=チャダルド

 もっと飛べ!とこちらに訴えかけているような曲。終演後のペテンに引き続き、「詐病」というペテン要素を感じられる。メンバーコーラスや、力強いギターソロなどもコドナ付近から出現する。現在のえんそくの大きなくくりでの形が定まったという印象を感じる。

 

ツンドラの暴君』

雪に埋もれた=真っ白何もないというワードからリセットされた、というような意味がある曲だと感じた。えんそくがはみ出し者の先導者として新たな国、世界観を確立させるための曲だと考える。

 

『改造人間「人間改造ニンゲン」』

ここから人々を改造してセカイを変えてゆくその第一歩となる曲をとある少女の目線から歌った曲。ウシノシタ団総統閣下が自身を街中の泣き出しそうな心をキャッチして改造するために改造してしまう、という先導者、カリスマ感を全面に出した歌詞構成になっている。名前にMのつく少女が台頭してくる。

 

『デジデリオ』

モンス・デジデリオ「世界の終わりを描く画家」がモデルになっていると考える。「世界が終わり すべてが無くなったらまたねきっと」は狂い咲く春の始め方(世界の墓地からこんにちはの棺桶を叩いて死者を蘇らせる部分)に繋がっているのだと考える。『怪人ラボの夜』が続編的な楽曲になっている。

 

『ゴードン』

改造人間に改造された少女のお話。改造された戸惑いから、はみ出し者として突っ切るまでが一曲に収められている。

 

『1999年のブルース』

「それが宇宙人だって」という歌詞の宇宙人は宇宙貴族なのかと思う。

 

『正しい世界の終わり方』

前作『惡童のススメ』にもう1曲入るはずだった、という曲。

巨大な怪獣=バンギャルラ、世界の人々が発狂=コドナチャダルド

大雪=ツンドラ、隕石=アンゴルモア、妄想やペテン=ペテン

 件(くだん)はそのまま妖怪というわけではなく、泣き声をあげることすらできずにいるマッケンローや今迄やこれからえんそくの物語に登場するえんそくの世界に生きるキャラクターの比喩だと考えている。

 

『異聞・正しい世界の終わり方』

件の口枷を外す、ということはこの俗世から解き放ち、『金曜日のチェンソー』の「全部切り捨て飛べるまで」という部分につながると考える。そして「平行宇宙同士の不干渉という真実が覆す新しい世界システムの構築」というのは『天獄への十三階段』に登場する「その艦隊は分岐する可能性の先の平行宇宙から『今』この世界に集まってきたのだと言う」という部分に通じると考える。

 

『宇宙大天使土曜日』

この楽曲の大元は西洋占星術だと考える。そして『アリス・エクス・マキナ』にも通じる。西洋占星術によると、「魚座が象徴する宗教や政治、物質による支配の時代から水瓶座が支配する個人(アートマン)や精神性、自己理解などの解放の時代へと移行する。」「土曜日」はユダヤ教では宗派によらず、「安息日」である。安息日サバトと呼ばれ、「何もしてはいけない日」と定められている。曜日は土曜日に当たる。

12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」にてVo.ぶうが2月13日生まれの水瓶座になったということは、えんそくは水瓶の時代に移行したということになる。(実際私たちが生きているこの世界も西暦2000年から水瓶の時代に入っている。)この「水瓶の時代」は物質的な制限を超えて進化していく時代である。情報(音楽)は宗教や政治(ジャンル)の域を超えて広がり、一部の人(この場合えんそく?)が見出した心理や真実も一瞬で世界に広がっていく(狂い咲く春のはじめ方の種)。己と向き合う時代になる。この部分は『アリス・エクス・マキナ』のアートマンブラフマンにつながる。

 

『朱色1号』

『橙々電車』とペアと考え、物語はリアルタイムでその頃よりも9~10年経過していると考える。歌詞に登場する空飛ぶタイムマシンモンスターは宇宙貴族の乗るUFOであると考える。『天獄への十三階段』に登場する高尾山から死にきれず降りてきた少女は朱色一号と考える。

 

『U.F.Oが来るまで』

本楽曲で「パレードに紛れ込む」ことを初めて行う。パレード(つまらないくだらない世界)に馴染んでいるように装っているとはいえ、紛れ込んだということにえんそくの変化を感じ取れる。

上記の「紛れ込む」や「できる子ばかりにすり替えられていく」は『惡道に死す/そして計画は続く』『天獄への十三階段』の身代わり人形が種明かしだと感じた。

 

『イン・ザ・マリオワールド』

丘で出会った天狗は宇宙貴族だと推測する。高尾山にはUFOや宇宙人の都市伝説が昔からあることで有名だ。「戻れないよ 知りすぎたみたい」という歌詞は、ハミ出すことで得た自由から戻れない、高度なアンテナを手に入れたことで気がついた真実から逃れられないという嘆きだと私は解釈している。セカイが狂っているということに気が付いてしまった、だれかに気付かされてしまったことでどんどん生き辛くなって、普通に息ができなくなったり笑えなくなったり、街を歩くすべての人がバカに見えてしまう、そんなところから「戻れないよ!」と歌っているのではないかと考える。「もっと上の方まで」という歌詞は、そんな悲観的な想いすら考えないでいい域まで、気持ちも歌っていると考える。

 

『世界の墓地からこんにちは』

えんそくなりの『リルカの葬列』だと感じた。この音源のジャケットに咲き誇る花はケシの花であり、「笑って挨拶握手をしよう」は「テムポ正しく握手をしませう」だと考える。。

世界の墓地は狂った世界であり棺桶である。

『アリス・エクス・マキナ』(タイプ別)

デウスエクスマキナは「機械仕掛けの神様」という意味である。神をアリスと言う名の少女に置き換えて、えんそくは新たな神様を創り出した。

 

A(アートマン)タイプ

アートマンは「個」。その名の通りジャケットは1999タイプすべてが違う。AliceタイプでAタイプとする。アリスの目線からペテン師や世界を見ていると考える。

Aタイプでの「泣かないで笑おう」という歌詞はアリスの心の中での決心。ペテン師の手を騙されてでも握り続ける覚悟が伺える。「焦がれていたあの物語」は1999タイプのアリスと同じように、ひとりひとり違う、自分の思い描いた理想郷が正解であると考える。「二千年先へ続く新たの物語」この二千年は宇宙大天使土曜日に出てくる二千年に通じる。

 

B(ブラフマン)タイプ

ブラフマンサンスクリットの「力」を意味する単語からきている。物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する。つまりペテン師も機械の一部として犠牲になっている。

BはBuuのB。えんそくの物語でペテン師を演じるVo.ぶうから見た物語。どんな手を使ってでもアリスを笑わせ続けるよという意味合いを見いだせる。

永遠の夢見る異形の少女は『正しい世界の終わり方』に登場した件だと考える。アートマンブラフマンともに機械の一部として存在するため、両者に差や区別はないと考える。

 Bタイプはカップリングの入ったいわば通常バージョンとして扱われるので、「力」の名の通り、イイコ以外に布教されるならこちらのバージョンがまさにえんそくの「力」になる。

 

AB (アブレスト)タイプ

アブレストの意味は「横に並んで」つまりペテン師とアリスが横に並んでいる、ということになる。アリス・エクス・マキナは二つの機械からなる壮大な装置。アリスは機械の一部となっていることはわかりやすいが、ペテン師もじつは機械の一部、2人は並んで同じ機械(世界)の歯車として生きている。アリスは狂った世界に背いてペテン師と並び、夢見る機械として生きている。

 

『12モンスターズ』

「ボクが夏空見上げながら 夢に見ていた 落ちてこなかった星の代わりに」という歌詞に登場する「星」というのは1999年のアンゴルモア(ノストラダムスの大予言)、またはUFOは燃え尽きる寸前の星とも言われているため、UFOであることが予測できる。

世界を終わらせてくれるはずだった世界滅亡説やUFOなどの「希望」に代わってえんそくの作り出した怪物(曲や思想)を世の中に落とす物語となっている。

 

4th MINI ALBUM『惡道に死す』

「今のえんそくが描くカミュカフカ」という印象を受ける。まず歌詞カードだが、ミラーボールが月になっている。そして柵。この柵は歌詞カードをめくるたびに近づいてくるのでよく見てほしい。アルバムが進むごとに柵越えが近くなっている、ということを表しているのではないかと考える。表紙は件(くだん)の頭が開いて、その中はビル街=狂った箱庭ということなのかなと感じた。

 

『ここがお前の死に場所だ!!』

 歌詞をよく読むと、いままでの様々な楽曲からきたメッセージや、「金曜日のチェンソー/天獄への十三階段」への伏線が詰め込まれている。主に『狂い咲く春の始め方』から多くキーワードを持ち込んでいる印象がある。

 

『屠殺屋マン4号』

「連れ出して柵の外へいつかの夜のようにまた」という歌詞から、主人公はウシノシタ団に出会いひとつ飛び抜けたのだと感じた。しかし飛び抜けた先にも柵があった。『インザ・マリオ・ワールド』の「上りきれば丘だった」という部分にも通じる。「今はどこかであの頃の私に似た誰かの為のヒーロー 二度とは戻れないってことわかってる それでも待ってる」という歌詞は、あの時救ってくれた惡のミカタは今はあの頃の私に似た誰か救うためのヒーローをしている。だからあの頃のヒーローは今の私を救ってはくれないけど、それでもあの時に救ってくれた惡のミカタに似た新しいヒーローを待っているわ。というような解釈ができる。このことから、初期ウシノシタ団と後期ウシノシタ団は全くの別物という扱いをして良いと考える。

 

『そして計画は続く』

大計画と「Die計画」をかけている。《13番目の刃で殺し上手》は『金曜日のチェンソー』であると考える。

 

『金曜日のチェンソー』

 「咲くまで飛ばす」という歌詞は「柵まで飛ばす」と掛けてあるのではないかと考える。「化けろ!マッケンロー!」は「12モンスターズ」の「暴れだして!」の部分にも通じるのではないかと感じた。「何も知らぬまま混ぜ合わせた」はイルキメラキッドの「ダメだ混ぜちゃってものも なんでも混ぜちゃう」に通じる。このチェンソーは「屠殺屋マン4」号の肉屋のNo.4が使っていたもの。

 

天獄への十三階段』

 「霧雨の不条理」という部分は『USJ』の「気づけば濡れちまうような霧雨の寂しさが」という部分と同じ意味合いだと考える。2015年の夏の終わりは宇宙貴族からネクロマンサー。不死者の者たちへと物語がバトンタッチ(しかし夢オチ)された時である。2015年の春、「朱色一号」は高尾山に登った。しかしその少女は死にきれず高尾山を降りる。中央線のホームで見知らぬ男たち(ウシノシタ団)に待ち構えられていた。ホームまで行っているということは元いた街に戻ろうとしていたと言うことではないかと考える。「U.F.O.がくるまで」で「誰か替わってくれ」と願っていた誰かのためにようやく身代わり人形が用意された。「作られた神」は「大人たちが取り繕いごまかしたこの世界」である。UFOと歌詞カードでは書かれているが実際の曲中ではハコブネと歌っていたりなど、このおよそ2年の間のえんそくの物語の答え合わせだけではなく、それ以前での不明瞭だったものが明確になったりする。

 

 

 

えんそくにおける世界観の考察

 

・つまらないくだらない世界

 えんそくにおける「つまらないくだらない世界」とは、マルコムの生きる世界を指す。この世界は己の世界を見る目線を変えてゆけばフィルターがかかり、自分の都合の良いように見ることが出来るようになると考える。

 私の考えるこの「つまらないくだらない世界」とは、なんとなく生きることだと考える。この世界は誰しもが持っているものであり、個人差がある。ある人は学校、ある人は家庭など自身の感じるやるせなさ、虚無感、理不尽と思う気持ちの向く先が「つまらないくだらない世界」だと考える。

 

・美しい世界

 えんそくにおける美しい世界とは、ひとりひとりの思い描く理想郷を指す。しかし、けして「働かなくて良い世界~」などというものではない。えんそくの物語上では、花咲く丘、銀のハコブネが旅立った先、天獄への十三階段を登りきった先と考える。

 

・Mのつく少女たち

 えんそくにおいてイニシャルにMがついた少女たちは重要な存在と言える。マチコ、マイコ、マリコ全てマルコムではなくえんそくの世界に生きるマッケンローだということは歌詞を読めば理解できる。マチコは気高くひとりで生きていくことを決意している少女、マイコはつまらない世界に愛想をつかせただいまを捨て高尾山に向かった少女、マリコは改造人間「ニンゲン改造人間」に改造されてしまった少女(またの名をゴードン)である。固有名詞は出てこないが、少女戦闘員のMもそのひとりである。件やアリスもMであると考える。

 

・えんそくの世界線

 えんそくでは「平行(並行)世界」というワードが鍵となる。平行世界とは、パラレルワールドとも言い、この世界から分岐しそれ平行に存在する別の世界(時空)のことを言う。えんそくにおいてこの平行世界が顕著に現れたのは『えんそくの大予言』以降である。

 まず、『えんそくの大予言』(以下大予言)から触れてゆく。大予言では宇宙貴族をテーマとした衣装を身に着けていた。彼らはこの世界ではない別の世界、まさに平行宇宙からUFO(銀のハコブネ)に乗りやってきた。特にこの要素が表れているのは『宇宙大天使土曜日』である。アセンションサバト、花が咲く丘などというワードがその理由である。アセンションとは、上昇という意味を持つがこの場合は次元上昇から見てフォトンベルトに関連があると考える。フォトンベルトとは、フォトンのベルトがこの世界を覆い天変地異や霊的な変化をもたらすと言わせている。地球外生命体や、2012年の世界滅亡説と関連があると考えられている。『天獄への十三階段』ではこの世界はすでに終わっているとされている。すべてが時空の狭間の幻、とするならこの世界はもはや世界ではないのではないだろうか。そして同楽曲内では群れなす船(UFO)のことを天獄と呼んでいる。

 話を変え、五次元について考えてみる。五次元とパラレルワールドは密接な関係にあると考えられている。五次元の定義は「時間軸が無数にある」とされている。時間軸とは、過去現在未来の一線であり、それらが無数にあるということはパラレルワールド、平行世界の定義と同等なのではないかと考える。2018年5月5日発売の『5次元よりの使者』は、えんそく自身が使者として5次元から現れるということではないだろうか。

 えんそくにおいて次元=世界とするならば、先に5次元に向かったえんそくが使者として現れた、つまりわたしたちはまだ5次元(天獄)には足を踏み入れてないのだと考える。

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魚座水瓶座の時代について(5次元への誘い)

 スピリチュアルの世界では魚座水瓶座の時代というワードはとても需要になってくる。魚座は支配の時代であり、いうなれば自由ではないということになる。水瓶座は支配からの解放の時代である。ルールなどに縛られず自発的に自分の役割を見つけ、自由に動くことにより秩序が生まれる時代である。えんそくに当てはめれば、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」終盤の2016年2月では死んだと思われた総統閣下が生き返り誕生日も2月(水瓶座)になっている。つまりあの瞬間からえんそくは何にも縛られない自由の時代に突入したと考える。

話は12モンスター『魚座ナサニエルのテーマ』に変わる。この曲では「春が来たら生まれて死に向かうよ」という歌詞がある。同テーマは2017年3月までとし、翌月から新生ウシノシタ団がお披露目されることになっていた。未熟児だったおもちゃの王冠を被った(コドナチャダルド)のちの惡王様(総統閣下)は、永久の眠り(ネクロマンサーは夢オチ)で隠されていたが、春が来たら死(4月)に向かうために生まれるという解釈ができる。その後の歌詞には「ボクラは一足先に街を襲ってぐちゃぐちゃに!」とある。上記すべてのえんそくは全て違う世界線のえんそくであり、その様々なえんそくがお互いの世界線のくだらないつまらないものを壊し合い成り立っているのではないだろうか。5次元というのは平行世界の存在を認めることであり、それを認識すると『魚座ナサニエルのテーマ』の歌詞にも納得が行くのではないだろうか。

このトリックを成立させるためには魚座から水瓶座への移行は必要不可欠な要素だと考える。

 

・えんそくにおけるサバトの扱い 

 えんそくにおけるサバト安息日を指すと考えられる。『宇宙大天使土曜日』にて「なにもしないことをしてみないか」という歌詞があることが理由として挙げられる。『宇宙大天使土曜日』がリリースされた時期に行われていた12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」も、本来の安息日同様、土曜日に開催されていたこともあげられる。

 しかし魔女、あるいは悪魔崇拝の集会としての「サバト」として扱うことも可能ではないだろうか。こちらのサバも同じく土曜日の夕方付近までの時間で行われる。さらにえんそくのファンの多くは女性であることが挙げられる。(魔女は時にして男の場合もある。)この場合のサバトは信頼のおける情報が少ないが、「サバトの出席者は山羊の背中に乗って飛来する(中略)そして背中を合わせるようにして円舞を踊る。」とある。まさに近年のえんそくのライブに似たものがあると感じた。

 

 

最後に

 本論はえんそくがその道を進める毎に加筆修正されるものである。そのため、「最後に」という項目があることは正しいとは言えない。本論に本当の意味での「最後に」が執筆される時はえんそくがただいまを手に入れたときだと筆者は考える。そんな日が来ないよう、今日も私は呪うように祈っている。

余談の余談

旅行中、あるツイートが話題になって他のバンドの方からのえんそくの見方が変わっていってたのがすごい悲しいなーと思っていた。

 

帰ったということに間違いもないし、私が心の底から楽しんだ事実も間違いないと思う。幸いなことに、私の周りの人たちはみんな楽しそうで、運が良かったなぁと思う。

 

ほんとに、何が悲しいって旅行中、みんなが楽しみすぎてTwitterに触れていない時にそのツイートが拡散されて(実際私が見たのも数時間あとだった。周りの人もそういう人が多かった)その短時間のあいだに「えんそくの見方変わったわwww」「えんそくの旅行地獄じゃん。」などのツイートがくりひろげられていたことだった。

旅行が終わり、何を呟いても「信者乙www」という感じで見られているのかなぁ……と思うとすごく虚しくなった。

 

宴会芸が死にそうになってたことも事実だったけど、私が、私の友達が、「でも総合してみたらすっごい楽しかった!」ということも事実だ、ということをその「見方変わったわwww」と言っていた人が知ってくれてたら嬉しいなぁーと思う。

いや、ほんとにしんどかったけど!!!!

わたしはしんどすぎると睡眠ができなくなってしまうんだけど、その一日目が終わった日は2時間も寝られなかったし!

私はまだ社会人として生きていないので何を言っても説得力が無いかもしれないけど。

誰かが言ってた「バンドマンはいろんなものに縛られてる社会人を知らなさすぎる。」というツイートには、「でも普通に働いてる人もバンドマンのこと深く知らないからお互い様じゃん!!」ということを声を大にして言いたい。どっちも大変だよ。そんなの。

 

ここから先は、起こったことに間違いはなかった、私の主観ということを念頭に置いてもらいたい。

 

こんなの誰もがわかってると思うけど、なにかの出来事に全員が同じ感情を抱くことなんて出来ないということ。

わたしは22年の中で大多数と一緒に楽しむことが出来ないことの方が多かったので、帰ってしまった方がでたという事実もものすごく良くわかる。

わたしは、もうそのへんの諦め?というものがついてしまっているのか、みんなが楽しぃー!!としてる時に自分が楽しめなくても「あぁ、今日は楽しめないサイドの割合に入ってしまったんだなぁ。悲しいけど、次は楽しめたら良いなぁ。」と思うだけというか。

何事も割合で決まってると思っちゃってるから、今回は運良く、総合評価が楽しかった多数派に入れたのかなと思う。

 

私だって不満だっていろいろあったけど積み上げて行ったら楽しいの方が勝っちゃったからさ。

なんかもう!しょーがねーじゃん!としか言えないわ!!笑

 

帰っていった人たちはもうえんそくに来ない、と言ってるわけだし。世界は割合だからその人達の代わりはそのうち現れると思うし。

彼女たちのなかの「えんそくがいたポジション」も、きっとそのうち埋まると思うので、双方が幸せな人生送れたらいいなぁとおもいます。

以上です。

余談!えんそくの週末中学ー全寮制ー

週末中学で感じたことなどをメモ📝

わたしはいわゆる校舎があって制服を着て、という学生生活を送ったことがなくて、そんな私が制服推奨の「学校」と銘打ってるイベントで楽しめるのだろうか?ソリの合わない人と同じクラスになってやっていけるだろうか?とものすごく心配だった。(本当に胃痛が起きた)
ぶうさんのいつかのトーク(?)で「学校というのは嫌な奴とも協力しあわなきゃ行けないところだから」と言っていて、今思うとその気持ちすら「学校感」なんだなと。

イベント直前になり、もうこの先の人生で制服も着ないだろうし、校舎で授業を受けることもないかもしれないと思い
「今の私が考える当時の私がこうだったら最強だったかもしれない」
をコンセプトに衣装などを揃えました。

実際行ってみるとやっぱり好きなバンドのイベントということもあったり、去年より知ってる人も増えていたりで心配していたことはほとんどなく楽しめました。
宴会では知らない人と妖怪体操を踊りまたメンタルが強化されました。

一日目のオリエンテーション中、疲れ果て教室の中でサボっていたとき「こういうのも学校ぽいですよね。」と言われて「そうか!これが学校感か!」とおもったり、号令とか下駄箱とか全部が新鮮で嬉しかった。

超絶個人的な話になるんだけど、
私は制服コンプレックスが強いというか22歳になった今でも制服の子を見ると「年上みたいだなー」と思ってしまう。
中高生の時に経験するいわゆるなエピソードが一つもないし、体育祭も文化祭も経験したことなくてそういうのをやったことがない自分というのがコンプレックスなんだなというのにココ最近気がついた。

今回、制服も着ることができたし校舎で授業を受けることが出来たし、みんなで協力というのも出来たし本当によかったなと思いました。
特に学校の大事さを感じたのは合唱で、一日目の入学式の時に校歌となる「最後のえんそく」を歌う時、わたしは気恥しさとか「合唱とかうけるwww」と思って半分くらい歌わなかったんだけど、卒業する時には普通にうたえたし、人間にとって学校っていうのはそういう順応性とか協調性とか誰かと生きるために必要なスキルをある程度経験するためにあるんだな……と心の底から思った。
この二日間でわたしにそのスキルが身についたかと聞かれたら「??」って感じだけど、それを経験できたことに意義があると思うし、えんそくはいつだってわたしのコンプレックスをどうにかしてくれるなぁとまた思えたそんなイベントでした🙋🏻‍♀️

めちゃくちゃ信者っぽいな。信者じゃないよ。うわ!えんそくってなんだこりゃ!と思うことももちろんあるから。それを表立っていう必要ってないと思うし、負の連鎖は自分だけで止められたらいいなぁと思うので。

今回、私がいたクラスから離脱者が2人出ていた。合唱の時にほかのクラスよりステージに余白があって「なんで空いてるんだ?」「2人抜けたからじゃない?」という会話をしている時、ほんの少しさみしかった。きっと一番残念だなと思ってるのは担任だったJoeさんだと思うんだけども!(実際はわからないけどね!)
深沢のように「みんなちゃんとやってるんだよ!?」という気持ちも芽生えたり、「あの二人もいたらよかったね。」という気持ちも芽生えたり、そんな気持ち、わたしもちゃんとあるんだ!ということも気がつけた。

私がひとりで別教室に登校していたあの時、同じクラスの知らない子が日替わりで給食を毎日とどけてくれていた。「教室の方がきっと楽しいよ!」「来れるようになるといいね!」
など声をかけてくれていたんだけど、わたしは「また上部ばっかりで声掛けやがって。」「楽しいかどうかは私が決めるし!」と意地を張って、最後は学校にも行かなくなっていた。
イベントを経験して、当時のあの子達の気持ちもほんの少しわかった気がして「申し訳なかったなぁ。」と思ったりした。上部なのは当たり前だし、自分が楽しいと思うことを推奨するのも人として正しい思考回路だと思う。
そうやって考えの幅が広がっていくし、色んなものを見たり経験したりするのって大事だなぁと、その上で狭い世界を選んで生きるならもっと尊く日々を送れるかもしれないなぁと思う。

ほんと!信者じゃないけど!
(たわし撮影会とか嘘だろ!?と思ってるし!笑)
わたしはえんそくに出会えて色んなものを見たり聞いたり触れたりして22年で取りこぼしてきたものいろいろ拾い直せたと思う。

ので、私みたいな人がもっと増えると嬉しいなぁとは思います。

いじょう🙋🏻‍♀️

えんそくの週末中学ー全寮制ー

今回は「えんそくの週末中学ー全寮制ー」でした。
昨年は運動会だったけど、今年の方が濃くそして長い時間ぎゃーぎゃー騒ぎながら楽しめて去年超えの楽しさがあったなーと思います。時系列で振り返る。

朝、東京駅集合🚉
なんと集合場所に制服、学校ジャージ、体操服で来ると成績に関わるポイントが加算。
そのため様々な格好のイイコさんが集まる。ガチ制服からガチジャージ、エセ制服スケバン学ラン、ブレザー。集合場所まで駅から徒歩5分だったけど、そのあいだすれ違う人全員に振り返られました(個人の感想)

バス車内ではメンバーのアテレコした「もののけ姫」が流される。ここがなんとテストの伏線であった…。アシタカはクラオカユウスケ、様々な女役(サン、エボシ様も含む)はJoeさん、アシタカ以外の男がミドさん、動物、神様がぶうさんという配置だった。ちなみにエンディングは全員で合唱してた(やばい)

学校は千葉某所にあり、おそらく普段ロケとかイベントで使われるためにあるのかな?と思うような廃校舎だった。
到着してまずはメンバーからのご挨拶。
ぶうさんは社会科の先生でシャツにネクタイ、赤の3本ラインが入ったジャージ。
ミドさんは図画工作でシャツにネクタイ、アームカバーに黒のスラックス。首からかけたホイッスルにペンとかぶら下げててすごく先生感があった。
クラオカさんは家庭科でバチッと決まったスーツ(話に聞くと10年前にコナカで6900円)に黒メガネ。異常にかっこいい。教育実習生感がすごかった。
Joeさんは理科でタイトスカートのスーツに細い銀縁のメガネに赤リップ。女教師感。

まずクラス分けがされ、そのクラスでもごちゃまぜに班を組むことになる。そしてこの時点で「今日の宴会の際にそのメンバーで宴会芸やってもらいます!」という地獄の発表がされたがその様子は後ほど。
1日目はオリエンテーションで「あだ名探しゲーム」をやる。
校舎内の空き教室の様々なところにあだ名の書かれた名札が隠してありそれを探すというもの。見つけたあだ名が二日間の呼び名になるというシステムだった。
そのあだ名の中には「職員室に来い!」と書かれたものもあり、職員室に行くとメンバーとミニゲームができオリジナルのあだ名カードが貰える、というものだった。
ぶう→ブタ、トンチク、さいちゃんなど
クラ→ロシア、伝説、コーヒー、タバコなど
Joe→茜ちゃん、凛ちゃん、パグ、おじさんおばさんなど
ミド→みどり、アル中、リーダーなど
わたしは開始1時間ほどで疲れ果て、理科室で同じ班の人と喋ったりしていたのだがそれも学校感があって良いな…とエモくなったりしていた。
サボっていると教室にJoeさんが入ってくる。カメラが回っていたので、Eテレ用の動画撮影かな?と思う。そこに窓から(??)ぶうさんが現れ、「お!もう宴会の打ち合わせしてるの?」などと話しかけてくれる。各自の名札を見て「いいね!」「そんなのあるの!?」などコメントをくれた。ちなみに私は服装がスケバンだったので、「ジャスティス学園みたいなマリちゃん。」と呼ばれました(ジャスティス学園は検索してくれ)
ちなみに名札が一枚も見つけられないと「ゲロシャブ」と呼ばれることがアナウンスされていました。(多分誰もいなかったと思う。)

オリエンテーションが終わりホームルームの時間。わたしはJoeさんのクラスだった。
クラスに入ってくるなり
「お、みんなちゃんと座ってる…席つけ席つけー!って言わせてくれよ〜!」
と言っていた。
「西條ってずっと本名だけどいいのかな…えっと、西條ことJoeです。二日間よろしくお願いします!」
そして明日の諸連絡などがありホームルーム終了。うちのクラスは号令係などがなく、全部先生がそのへんをやってくれてた。
号令で「規律!注目!礼!」と言ってて、ほとんどの人が「ちゅ、注目!?」みたいになってたんだけど、宮城県ではメジャーらしい。クラスに二人くらい宮城の方がいて、その二人に「これであってるよね!?ほら!あってる!!」といっていて可愛かった笑。
話の途中突然ひとりで笑い出したり謎のネタをぶち込んできたりJoeさんのやばさがひしひしと伝わる二日間だったと思う…。
成績に関わるポイントは先生がその都度ハンコを押してくれる。
あと余談だが、Joeさんが隣を通るたびにとてもいい匂いがしてそれだけで盛り上がっていた。

1日目、学校でのイベントは終了。寮となるホテルに向かう。

ホテルにつき、そこから一時間ちょっと?で宴会なので急いで打ち合わせをする。
そして宴会。ご飯がすごい。生きてるアワビとかいました。おいしかった。
メンバーと乾杯を済ませ、しばらくご飯を食べる。そして地獄の宴会。
あんなに時間が無かったのに茶番、コント、ダンス、一発芸など「イイコってバンギャルじゃない人達なんだ…」と感じました。
個人的に好きだったのは某バンドのボーカルとファンのモノマネでした。最高。
ひたすら笑い転げた宴会のあとは、メンバーによるアコースティックライブ。とてもいい席で見られたのだが、一日目の疲れやご飯後の眠気でそれどころじゃなく、普通に半分くらい寝てしまった…。
女教師でギターを弾くJoeさん、いつも通りのぶうさん、酔っ払ってニコニコのミドさん、合いの手が「アイヤー!」なクラオカユウスケ。あと突然アコギをカホンにするクラオカユウスケ。多分メンバーみんなお酒が入っていて、テンションがおかしかった笑
そんな姿を見れるのも貴重だと思うのでとても良かった。

1日目、無事(?)終了…。
部屋ではコンビニで酒を買い込み深夜までくだらない話をしたりしてほんとに修学旅行とかそういうのみたいだなと思った。
あと温泉がすごい良かった!あれなかったら二日目の途中で死んでたと思うレベルに回復された。

2日目。朝9時から学校でイベント開始。
ホームルームから始まる。誰かが黒板消しをドアに挟んだら引っかかるんじゃないか?という往年のイタズラを提案し実行。
「いやいや流石に気がつくよ〜!」「怒られるかな?」など話していると遠目に先生が見える。
わくわくしながら待つ。結果、Joe先生は綺麗に引っかかってくれました!!!笑
「誰ですか!こんなことしたの!嬉しいです!!!」みたいなことを言いながらすごい笑っていた😂

ホームルームの時に前日の宴会芸の感想を「先生、酩酊していましたがちゃんと各班見させてもらいました!とても良かったです!」と言ってくれて、本当に細やかだな!と思った!


前日に時間割が配られ、各クラス一時間目は担任の授業。
Joeさんは理科の授業でテーマはペットボトルロケット。本当の授業みたいにペットボトルロケットの仕組みを解説しながら進められていた。
「先生は学生時代自然科学部でした!」
「理科の先生が関西の人で、先生の関西弁バージンを奪っていきました!」
などちょいちょいエピソードが挟まれる(これがテストの伏線)
座学をやったあとは外に出て本当にロケットを飛ばす。今回は簡易のもので、入浴剤のバブを使って飛ばすタイプのロケットだった。
「先生は家でひとりでこの実験をしましたが、正直勝率は半々です!」
などと言っていた。あとたびたび材料が足りなくなったりなどして職員室に走りに行く先生が可愛らしかった。
飛ぶタイミングがまちまちで、ちゃんと飛ぶたびにみんな「ギャーー!!」って叫びながら盛り上がっていた。でも多分一番盛り上がってたの先生だと思う!🤔
失敗して飛ばないロケットは先生が手を加えてその度にバブまみれになって飛ばしてくれてとても体張ってるな…!思いました。

2時間目はぶう先生の社会科(歴史)
えんそくの様々な歴史を座学で学ぼう!という授業だった。とにかく面白かった。それしか言えない!!!笑
一時間目の授業が押していて、教室の外で待っていたのだけど授業をするぶう先生の立ち振る舞いとか本当に先生ぽくて良かった。
授業が終わりゾロゾロと前のクラスが出ていき始めた時に「先生〜もう入ってもいいですか〜」「おう、いいよ」というお馴染みのアレを出来たので嬉しかったです!!

3時間目、図画工作。
ミドさんの授業ではまず「ダンボール工作」についての授業を受けた。
ダンボール工作において、大切なことを学んだ。(ダンボールに求めること、色を塗る時はマッキーが良いなど)
挙手して答えていくスタイルの授業で楽しかった!
先生の漢字の書き方とか字の雰囲気とかでザワザワしてたら「揚げ足取るんじゃない!」「揚げ足取りたがるねぇ!」と言ってた。
あと挙手しないで喋ってたら「ほら!手をあげる!」と言ったりしてて本当に先生みたいだった。
後半は学校の壁を自由にお絵描き🎨
誰かが
「先生は描かないんですか?」
「先生はねーもう描いたー。」
という会話をしていて、自分のことを先生って言っちゃうミドさんがとても可愛かった👌
壁に絵をかくなんて人生で初めてやったし、筆とかクレヨンとか何年ぶりに握ったかな?

4時間目は家庭科。
クラオカ先生の元で「自由」「独創性」を学ぶ(家庭科とは)
先生の格好が花柄のエプロンと三角巾、その三角巾をパステルカラーのアメピンで留めててとてもメルヘンだった。でもカッコイイ。
授業冒頭、黒板に「GTO」と書き出す先生。
「俺の名前は…グレートティーチャーオカクラだ。よろしくっ…」「(拍手喝采)」 謎。
授業内容としては配られたお菓子を使い新たなお菓子の食べ方を生み出す!というものだった。最終的に先生にそれを食べてもらい成績をつけてもらった。
私のチームは「全部粉々に砕いて混ぜたらいいんじゃない?」というパワープレーに出た(めんどくさかった訳では無いぞ!)
すべてを砕き、ねるねるねるねの器によそい、トッピングにねるねるねるねの粉をまぶしました。地獄絵図。
本当はねるねるねるねをちゃんと作りたかったんだけど、まさかの水がない事態に陥ったため粉ごと使いました🤓
先生の食べた感想は「最初ゲロまずだけど最後はうまいぞ!?おまえらも食ってみろ!」だった。食べたけどたしかに最後は普通に美味しかった笑
クラオカ先生は率先して片付けを行ったりずーっと教室を見回ったりしててとにかくひとりひとりを見てる感じがあって熱血教師のようであった。

お昼休み。給食はカレー。
先生のお昼の放送があり、生徒から集められた質問を読んでいく。
学校の準備で大変だったことはなんですか?とか、先生達の初恋の女の子の名前が知りたい!とか、あと曲のリクエストでB'zの「太陽のkomachi angel」が放送される。「エンジェル!」の部分だけクラオカ先生が歌ってて面白かった。
昼休みの残り時間は好きに遊んで良くて、各自校庭に出て遊んだり、図画工作で描いた壁絵を見に行ったりなどなど。

5時間目はテスト。
テスト前にトイレに行ってたら(女子ばかりなので混んでいた)チャイムがなってしまい、校内を爆走。慌てて教室に入ると先生がもうテストの準備をしていて
「不良かぁぁ!なんだ!そのスカートの丈は!」と怒られる…だって混んでたんだもん……
テストが始まって数分後、クラオカクラスから笑い声が聞こえてきて「テストでそんな笑うことある!?」と言っていたのが印象に残っている。
しばらくするとテストを終え暇そうにしている生徒を見て、先生がいろいろお話をしてくれる。
「先生は学生時代、ホームセンターでバイトをしていました。園芸コーナーで働いていて、無線で園芸コーナーの西條さんと呼ばれていました。」
「冬場は灯油を売る仕事をしていました。毎日毎日、何リッター売ったかわかりません!」

テストが終わり、先生がテスト回収している時かな?誰かが「寒いのでコート着ていいですか?」と聞いたら、「寒い?ストーブつけようか?」と言って独断でストーブつけてくれたのが嬉しかった。そのあともストーブから遠い子達に「大丈夫?温かい?」と聞いたりていて、とても気遣いされてるなぁ…と嬉しくなった。

テスト後は合唱コンクールの練習。Joeクラスは「改造人間『人間改造ニンゲン』」
先生案でフリを取り入れることにする。
何かあるたびに褒めてくれたり、リズムとってくれたり、本当に細やかなサポートをしてくれる先生だった。

手違いによりJoeクラスは翼をくださいを何もせずに本番に挑んでしまったんだけど、その時も「何か言われたら全部先生が責任持つから!」
と言っていて優しいなぁ……という気持ちが溢れてダダ漏れしてしまった。

合唱コンクールはクラオカクラスはベイビーアイラブユーをハモりアリで歌いものすごく盛り上がっていた。
ぶうクラスは狂ったセカイの「ズレてるチューニングの〜」の部分が本当にズレちゃうミスをして会場を湧かせていた。
ミドクラスの合唱は「こいつら頭おかしいだろうな!」と思いました!
Joeクラスが一番大人しかったかもしれないけど、先生が一番力を入れて応援してくれてたと思うし、本当にJoeさんのクラスでよかったな!と思った。

最後はみんなで校歌である最後のえんそくを合唱。これは入学式の時にも歌ったんだけど、ぶうさん曰く「声が全然出てなくてグダグダ」だったらしいけど、最後に歌った方はとてもよく声が出ててよかった!と言うことで、先生達にも満足してもらえてよかったなぁと思う。
実際、わたしは入学式のとき歌ってなかったし(ごめん)そういうのをスカして見てたんだけど二日間学校のような感じのことをさせて貰って最後にはナチュラルに合唱することも出来たし「学校」ってこういう事なんだなぁと思った。

いろいろあったけどとても楽しい二日間でした!
個人的に感じたことなどはまた別記事にまとめます👌