怠惰と堕ちることは違う

と、思う

 

怠惰であること(遊んで暮らしたり)と、堕ちて行ってしまうことって全然違うと思うんだけどわりと一緒にしてる人多いよなぁと思う。

仕事を「キチン」としてるからって堕ちてない訳じゃないし、案外怠惰に生きてる人ほど普通だったりする。普通だから怠惰もブランドにしちゃいたいんだろうなと思う。

世界や社会に怒りをぶつけながら

そんなのは弱者の喚きでしかないことはよおおおおくわかっている。

就職活動すら上手くできない自分にイラつく。思ってる以上に世界に期待していない自分がいることにも驚く。

「どんな事が好きかな?」「仕事で何をしたいかな?」

子供を窘めるように聞かれても、出てくる言葉だけは一丁前に大人で。

「仕事に特に期待していないです。お金がある程度もらえてブラック企業じゃなければ特に。接客は好きではないです。今のバイト先が人間的に合ってるというだけなので。出来たら〇〇のような仕事はしたいかなと思っているけどセンスがないことは自覚してあるので難しいかなと思っています。」

仕事になんか期待なんてあるのだろうか。今しているバイトだってある程度のお金をもらってるからお客さんからのクレームだって店長からの要望だって聞き入れるし、仕事ってそういう物じゃないのかな。

期待したりするってことは、多分人生の中心軸に入れると言うことで、わたしは「仕事」をそこに入れるつもりは1ミリもないのでだから就活とか真っ当に会社に通うことが向いてないような判断や診断をされるんだろうなぁと思う。多分入っちゃえば出来るんだろうけど、入るまでの過程が面倒くさすぎるでしょ。大して良くない素材(自分)をどうにか食べてもらえる程度に味付けして、でも実は特にいい素材じゃなかったみたいな。そんな取り繕いと嘘でかためられたことなんてやったことないからできないよーーー。えーーん。

ありのままの自分を愛してくれなんて言わないけど、せめて素材くらい生かして美味しくなりたい。

鬱という字は29画だそうだ

鬱フェスに行ってきた。運命を信じざるを得ないタイミングで当日あった予定が前日の夜にキャンセルになり、こりゃ神のお告げかな?と思ったのでいってきた。お告げだった笑

 

行くと決まってから動悸が止まらなくて、手紙を書くにもいつもはうるさいくらいに筆が止まらないのに「たのしみです〜えへへ〜」みたいなのしか書けなくて、あんなに緊張した対バンは初めてだった。(演る側でもないのに結構な確率で緊張してる)

始まってみるとそれはそれは楽しくて、楽しい中にも感慨深さとかなんなのか、涙が止まらなくて。って書くとすごく安っぽくなるので、普段泣いてもTwitterとかにすら書かない笑

昨日は普段の比にならないくらい泣き散らかしてしまって逆に周りに知り合いいなくて良かったなと思った。(以前泣きすぎて過呼吸モドキになり初対面の友人の友人に物凄く迷惑をかけたことがある前科持ち)

O-EASTの二階席に向かう階段(イベントだと物販とかに行くためのやつ)に座ってそこでも泣いて、泣き疲れてお腹減って外のコンビニでおにぎり買って食べて、階段に戻ってきたら眠くなって寝てしまい、キノコホテルさんとA9さんが見られなくて残念だった。

 

あ、初めて大槻ケンヂをみた。(敬称略)

まさにのほほんなおじさんで、ステージに立つことに違和感のない普通のおじさんというか。笑 でも作る曲とか、作品は物凄く良くて、私が読書をするきっかけになったのは大槻ケンヂの小説を読んだからです。(立て続けに嶽本野ばらに出会ったことも理由の一つにあるけど)

最近、香菜頭をよくしてあげようの事をすごく考えていた。少し前フォロワーさんに「なちこさんの香菜の解釈を聞きたい。」と言われ、そこから結構悶々と考えていた。(ここでは言わぬ)もともと好きなこともあり、アコースティックラストの曲が香菜で、それはもう、感動というか、あの本人があの曲を目の前で歌ってるという事実にめんたるがキャパオーバー起こしたというか。とにかく良かった。初めての大槻ケンヂが鬱フェスでよかった。

 

ぶうさんの喜び爆発が相当自分の中でインパクトだったらしく、その後は腑抜け状態で上記のようになっていた。今日も1日ぼけーっと過ごしていた。

わりと小さい頃から他人にも両親にも言われてたんだけど、わたしは人として何かが欠けているので、人の喜びや悲しみが全然響かない。自覚してるのでなるべくその悲しみや喜びに出くわした時雰囲気をぶち壊さないようには頑張る。そういう私が唯一泣いたり怒ったりしてるのはえんそくの現場だけなので彼らは凄いぞ!

特に人の喜びに共感できなかったのに、ぶうさんの喜んでる姿を見て泣くくらいの人間にはなったのでえんそくに出会ってなければわたしはもっと冷淡な人間になってたとおもう笑。

あんまり自分の好きなものをヨイショしたりフューチャーしたりするの好きじゃないからこの辺にしておく。とにかく行けてよかったなぁと思いました。まる。

聖書そこにあり。

たまには(というかこのブログでは初?)ライブのことも書いてみようと思う。

 

新しく出来たライブハウスでワンマンでした。楽しかった。すごく楽しかった。

最近何となく気持ちがプスプスしててほんの少しささくれてたんだけど、月末のBLAZEでのイベントと今日、純粋に楽しい!と思えることが出来て良かったなぁと思った。

そもそも体も精神も強い訳では無いので、ばんぎゃるが根本から向いてないんだけど(遠征できる人はメンタル強いと思う。私はなかなか無理だ。)、それでもヴィジュアル系はいいなぁと思うし、特に30-31はそう思えた。

あと友人と連番ではないけど一緒に前の方で観てみたり、サイゼリアでダベってみたり、モノマネ大会をして盛り上がったりと私にしては珍しいことをして楽しんでいた笑。基本的に一人でライブには行くし、ライブに限らずだけどいろんなことを一人でするくせがついてしまって時たま自分の知らないうちに誰かを振り払っていることがたまにある。世界の人口に反してどんどん一人で生きていくことに慣れてしまっている。もっと人慣れしないといけないと思う。

 

ライブの話に戻る。

 

昨日のライブはセトリを決めずくじを引きその度に演奏する、というものだった。SEも入っていてなかなかスリリング。(SEは1度だけしか登場しなかった)1曲目から暴れ曲でぶっ飛んだ。久しぶりにモッシュがしんどいと思わなかった。途中同じ曲が二回来たり、いつもラストに来る曲の後に物凄く動く曲が来たり、なかなかちぐはぐなセトリだったと思う笑 。きっと彼らがもっと売れてしまったらこういうことは出来ないだろうし、その瞬間を観られてよかったなぁと思った。久しぶりの曲も数曲出てきてよかった。さすが引きの強い男だなと思った!

随所で「この人のこと好きだわ!」と思うことが度々あって、喋りとか動きとか表情とか、聖書がここにあったなと思った。相変わらず大好きだった。最後の最後、曲が終わった瞬間がタイムリミットピッタリだった。わりとMCで喋っていた時間もあったのにあそこで合っちゃう引きの強さが彼らだなと思いました。

 

狂信者とも親衛隊とも言えないけどたまにきちんと目を向けてみるとやっぱりすごい存在だなと思える実家のようなバンドだなと思いました🐼実家なので揺らぐことはない🐼だって実家だもの🐼

聞かせて未来の話

フォロワーが「2017年8月20日は二十世紀少年で地球が滅亡する日だ!」と言っていてそうだ!となった。私が知りうる限り、フィクションノンフィクション問わず具体的な世界の終わりを示していたのはノストラダムスと2012年のマヤ文明のヤツと、二十世紀少年だ。

 

1999年のノストラダムスは残念ながら記憶にない。

2012年の12月22日の夜。日付をまたぐ瞬間ベッドの上で時計の針が23日になるのを見ていた。割と本気にしていたと思う。ポジティブではなくネガティブな方に。

わたしまだ誰のこともすきになったことないし、そうだ好きになったバンドを観にいったこともない。まだやりたいことがある人を滅ぼすなんてどういうことなんだよ!みたいな。まぁ今は知ったこっちゃないっすけど。

 

自分が死ぬ時のことを考えると血の気が引く。自分という存在が滅亡した時のこと。大好きな人が死んだ時のことを想像しても「あんまりよくわからないなぁ。なってみないとわからないなぁ。」とか思うんだけど、自分のことになるとただ「こわい」という感情に支配される。記憶も感情も無くなるから「こわい」と思ったところで何も無いんだけど。寿命がどんどん長くなる現代に生きる私たち若者は不死者になれるのだろうか。百年後の未来も確認することが出来るのだろうか。想像した夢のような話も現実になるのだろうか。私の隣には好きな人がいるのだろうか。

汝なめられるべからず

ナメるとかナメられるとかみんなそんなこと気にして生きてないと思うけど、要はプライドを持って生きているかってことだよ。

 

ナメられてはいけないという気持ちは「自分の大切にしてるものやポリシーを傷つけられてたまるか」と思うことだと私は認識している。

わたしは私自身を大事に思ってるし自分の中の変えたくない部分やそれを解ってくれる人たちとかそういうのも大事だともちろん思っている。そのせいで友達いないけど。

 

初対面だったり、初めましてや顔を知ってる程度の人からしたらわたしはどうやら怖いらしい。意識してるからそうなんだけど。だって、なんで初対面でニコニコしなくちゃいけないんだろうか。初回から心を開かねばいけないのか。謙ってまで生きる必要はあるのだろうか。

雑に自分の心の鍵を開ける人は、人に対してもそれを求める。わたしは丁寧に心の鍵を開けようとしてくれる人としか付き合いたくないし、だからそれを篩にかけるためにも「こわい」ことを演じていふしがあるかもしれない。

心の鍵を正しく開くには、やっぱり優しさが一番なんじゃないかなと思うよ。あと多少のひねくれ。

なめてかかってくる人は、他人にもナメられてるような人だと思うし、そんなプライドのない人きっと周りにいたら嫌だとわたしは思う。

書いてたブログが全消えしたので落ち込んでる!

 

 

箇条書する。

 

・ しんどさは精神の風邪だから病院に行こう

・ メンヘラをコンテンツにした人は罪深い

・ 手首を切るのもオーバードーズでもなんでもいいからその人が救われることを願う。

 

気が向いたら消えた記事を再現したい。