このブログを面白がって読んでる人もいるってことはわかってるんですけど、わかってるから書いてるって部分もあるんですけど!

 

元気ですか私を面白がってる人たち〜!

今夜はメンタルが強いぞ。こんばんは。

 

人は誰かをバカにしながら生きてると思うから、バカにされてても「あぁ世界の営み」としか思わないし、わたしが誰かのことをバカにしてしまうのも、また世界の営みだと思うのですがいかがでしょうか。

 

人に「強めな子」と紹介されることが多いんだけど、正解だしそうやって紹介されるのが嬉しいと思う。なんせ強く見えるように日々繕って生きてますから👼

個人的に「弱くてもいいんだよ。」と言われるともんのすごく腹が立つというか、なんというか。親しくない人に言われたら「いや、おまえになんで弱みを見せなきゃいけないんでしょうか?」ってなるし、親しかったら「それ言っちゃダメなのわかってると思ってました!(今夜は閉店!)」ってなるし、まぁ総じて弱くていいと言われることが嫌いで苦手です。

なんでこうなってしまったかなーと思うと、たぶん中学くらいの時から「この世に気持ちがわかる人なんていないし、それはきっと空気が読めないだとかそういうことに繋がると思うから出してはいけないし探られても行けない。それなら誰にも探られないような隙を見せないくらい強く生きていかなければならない。」みたいな思考が強くて、それ故にとっつきにくいとは言われるけど。(でも仲良くしたらイメージと違ったと言われるから仲良くしたい人は来ればいいんじゃないかな)

未だに怖くなくちゃ守りたいものを守れないと思ってるし、それは若いことだねとも言われるけど、実際若いし別にいいかと思ってる。丸くなるなら30位からそうなるだろうし。まだ8年の猶予はあるでよ👼

 

我が道作りすぎてエントリーシートの書けねぇ〜👼

グッときたとか泣いたとか好きとか

そういう肯定するような言葉ってどうして文字にしたり言葉にすると1グラムみたいな重さになってしまうんでしょうね╮(´・ᴗ・` )╭

受け取る時も何となく「はいそうですねー。」みたいな感じにってしまう。

 

逆に殺すぞ、死ね、嫌いという言葉は与えるのも受け取るのも5トン!みたいな重さがあるよね。気持ちの問題だねーー。

 

今度から「私はあなたの事が好きなのですが、重さで例えると5トンです。伝わりますか?」とか言った方がいいんですかね(小並感)

中二病の救世主~1~

とは、どういうことか考えてみた。

(完全な私の考えでしかない。考察とかそんなんでもない。)

 

まず私自身のことだけど、べつに中二病と思ったこともないし、20歳超えたあたりから服の趣味とか「年甲斐がない気がしないでもない…」とは思うけど年甲斐が無いだけで中二病だとは思ったことがない。Bさんのよく言う「霞む」ことに長けていることが中二病だとしたら充分に重症患者かもしれないとは思うけど確信を持って「中二病です!」とは言いきれない(:3_ヽ)_

そしてBさんのこともあんまり中二病だと思ったことない(:3_ヽ)_

こじれた考え方してらっしゃる人だなぁとは思うけど、中二病……?と言われたらうーんって感じだけど。

 

まぁ、そんなような事をこねくり回して考えた結果、そうやってひねって拗れた考え方を一般的にわかりやすく言ったら「中二病」ということになるんでは無いかと思いました。

(そうすると私の中での解釈がストンと行くという意味)

 

あ、あと↑に則って考えるとしたら、イタイと中二病も別だと思う……。

 

イタイってみっともないとか情けないみたいな意味合いだと思っているんだけど、Bさんの創る世界の「中二病」はみっともなくも情けなくもないし、当の本人は「選民意識」や「誇り」をワードに「病気が治らない」と言ってるわけで、やはりenskにおいてはそれらのワードは使い分けていきたいなぁと思う(個人的なこだわりですけど!!)

13日の金曜日

やー!うまくかける気がしませんが書き留めておく。

 

良い、ただただ良いと感じることが出来て良かったなぁと心の底からおもえるライブでした。ありきたりなことしか書けないし、きっと実際ありきたりなことしか感じてないと思うんだけどさ。それでもいいと思えた。

 

マイノリティはマイノリティのまま変わらないけど、それをバカにせず理解もせず(重要)ただ笑ってくれるような人が周りにいて良かったなぁと思います。

 

なにそれ、わかんないよ(笑)

という言葉に何回も何回も刺されて殺されてそんなのが当たり前だから「わかる」という言葉には薄っぺらさしか感じないんだけど、そんな私だから「わかる」という感覚に対して強いあこがれを抱いてしまうし、だからこそわたしはenskに惹かれてしまったんだなぁと諦めにも似た気持ちがわきましたとさ。

 

私の言うことに対して「選民意識」だとか、そういうことをいう人がたまにいるんだけど個人的にはそんなもの持ちたくないと思ってる。だって邪魔でしかないし。そう思って生きていたら、その選民意識を肯定するような人がいて、これは持っていても良いものなのかもしれないという希望が生まれた。いや、いまだに無くせるものなら無くしたいと思うけど。(苦悩することの方が多いし)選民意識をポジティブに捉えられるほど真っ直ぐな人間でもねーし、飼いならせるほど大人でもねーし、持て余し十年選手みたいな感じだし。

昨日、初めてここがお前の死に場所だ!で最初から最後まで頭を降ってみたけど死ねなかった。

あんなに頭振ったら死ねてもいいのに死ねなくて少し残念だった。

死ぬこと以外かすり傷と思ってるけど、意外と重症でも死ねねーんだなと思うと結構絶望してたんだけどそれすらどうでも良くなるような感じだった。生きちゃうんだからしょーがねーじゃんみたいな。

22年生きてるんですけど、友達みたいな人と遊んだりするのって19歳までしたこと無かったんだよね。だから、まだそういう事の楽しみ方もよく分からなくて、ていうか基本的に楽しいことの楽しみ方があんまり分からなくて困る。

なかなか提示された楽しみ方に乗れないのは、幼児が積み木を変な形に積み上げちゃうようなのと一緒で「とりあえずこれがどんなもんが見てみたいんだ!」という結構単純な理由だったりするのかなと思うなどした。

でもまぁ自我は一丁前に22歳なのでその差が埋められなくて困るなって感じなのかもしれない。

そうやっていろんなことに絶望したりしてぐわーっとなって病院に駆け込んでも病名って貰えないんですよ。それなりに薬は貰えるけど。また絶望だよね。病気でもない不調が自分の中に蠢いてるってなかなか怖いよ。

 

もしも、でも、だって、みたいな言葉を羅列するのが得意だからどんなときも心の底から楽しむことがあんまり得意ではなくて、それが私の性質なのでもう変えられないんだと思う。でもまぁ、それでも良いのではないか〜と思えたし、また一つ個人的に無駄なゴミを捨てられた気がした13日の金曜日だったので、とても上々である。

 

とにかく、たぶんenskに巡り会っていなければもっとこの自我や絶望を飼い慣らすことが出来なくてどこかをカットしちゃったりしていたかもしれないけど、今のとこそんなこともなく、薬を飲めば落ち着く程度で収まってるわけだから、本当に上々な人生だと思います。

いや、そう思えてよかったね。ほんと。

 

以上です(:3_ヽ)_

数の話

この世が男女おおよそ半々で出来ているのと同じように、全ての物事には変わらない確率や割合というものがあると思う。

 

マジョリティだとかマイノリティだとかそういうのも決まっていてそれがひっくり返ることは無い。

たとえばマイノリティに人気だったものがMステなど大きい媒体で取り上げられたりするようになるのも、もともといたマイノリティの中のマジョリティが増幅していっただけだからである。(あれ?伝わってるのかなこれ)

この場合マイノリティの中のマイノリティも増えてはいるけど、それ(バンドなど)がいわゆる人気のなかったと言われる時期と割合的には同じなのである。

 

クラス30人いて、教室の隅で文庫本を読みながら日々生きている人が1人だけだとしよう。

そのクラスが60人になったら文庫本ちゃんは2人になると思うけど、割合的には変わらないよね。(数学が全くできないのでこれで合ってるかはわからぬ)

すべての集合においてそれは当てはまるから、マイノリティはマジョリティになれないし、逆もしかり。

 

その割合の変わらなかった文庫本ちゃんたちが「ひとり同士のボクラ」だと思ってるんだけど、どうですかね。まぁそんなのどうだっていいけど。いつだって諦めながら生きてきたからいいんだ🤐

 

推しとか本命とかすきぴとか

人様と楽しみを共有できない人間です。こんばんは。

 

そんなこんなで世間の波に乗り切れずブスブスしながら日々暮らしています。へへへ。

 

昔から運動会でもなんでも、まわりの熱量が上がれば上がるほど自分の熱量が下がってしまうのでどうしようもないなと思っている。困ったもので、社会生活を送るのにほんの少しだけ苦労をする。まぁ死なないことはすべてかすり傷なので全然良いんだけど……。

 

ひとりでコソコソと熱量あげるのが向いてるから、本当はSNSもやらない方がいいんだよね。まぁでも情報共有とか色々便利だしね。便利に屈してそのへんは折り合いつけていけたらいいよなぁと思います。

 

みんなと「楽しみだねぇ!」って言い合えたら、どれだけ楽しいだろうかと何回も何回も思ってきた。皆が悲しいとこで泣けなくて怒られたこともあった。(理不尽だよねぇ!)

とことんみんなと一緒ができなくて悲しい気持ちになることも多々あるけど、まぁそれはどうにかこうにか22年の人生で「仕方ないよね!」と言い聞かせられるくらいにはなった。納得はできてないけど。するつもりもないけど。

 

全然関係ないけどわたしはサブカルあんまり知らないんですよね。そりゃ寺山修司も見たり読んだりしたけど全部じゃないし、何よりアニメゲームにはてんで知識がないし、どちらかと言うとメジャーを好いて生きてきているし、メジャーが好きなので、いまでも。

昔はひねもすテレビを見て過ごしたりしてたけど、その頃よりかはあんまりテレビも面白くなくてさ。ガキ使のケツバットが廃止とかくだらないニュースもあって、馬鹿みたいだよね(笑)そこを判断できるように親とかまわりの大人とかがちゃんと育てるんだよ!と思った。たしかにケツバットはリアルの世界でやったらいじめかもしれないけど、万が一やっちゃった時に「ダメだ!」っていう大人が周りにいればそれでいいと思うの。ちゃんと叱れない大人のエゴで何でもかんでもダメにしてさ、だからテレビは面白くなくなったんだよ(懐古厨)

 

軸がないと言われたらそれまでだけど自分のアンテナにひっかかる面白いものはなるべく偏見なく好いていきたいと思う。でもまぁ選民意識とかどの界隈もあって、「〇〇好きなのにうちの界隈にいるの?(怪訝な目)」とかよくある訳で、たとえばジャニーズとヴィジュアル系の関係だとか。私はどちらも好きです。世界観を一貫しているという点では大差ないと思ってるしよくにた界隈だと思います。

 

みんなもっと柔軟な目線で生きたらいいじゃんねー。ボーダーやジャンル分けが増えたせいで逆にガチガチになってるよね。生きづらいねー。

 

 

なんとなく死にたいなーとか思ってたんだけど少しだけ元気が出たなと思いました。

 

漠然とぼーっとそれだけ考えてると「涼しくなったなぁ秋だなぁ」とか「空が青いなぁ」とかそういうなんてことない事に全く気が付かないなと今気がついた。秋冬ならではの「布団がほんのり暖かくて気持ちいい」を感じ取って「お、この感覚ってひさしぶり。」と思った。

 

死にたいっていうのは気持ちが内に入りすぎてしまってるんだろうなぁと思った。まぁ私は普段多方面に意識が飛びすぎてるけど……。

 

なんていうかこういう月並みなことってあんまり言いたくないけど、好きなものが好きだと生きれるなあと思う。ごはんが美味しかったり塗ったネイルが可愛かったり。

 

布団があったかくて気持ちいいと感じられる事実を噛み締めてもう一眠り