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今日見た夢

 

某バンドのベースとドラムがぐっちゃぐちゃになりながら喧嘩をしていて、それを必死になって止めてた。ギターの人は途中でどっか行きました。

わたしはさながらレフェリーのようで双方の言い分を聞いたり落ち着かせたりして大変だった。夢なのにとても疲れた。場所はどっかのライブハウスの裏か廃墟みたいな所で近くに神社があった。

つかれたけど中学生みたいに喧嘩する彼らを見て嫌いにはなれないな〜と思うなどした。

 

ライブ行きてぇ!

ライブに行けない状況になったからと言って何ということは起きてないのが自分の中でビックリだなと言うのがコロナ禍の正直な感想。強いていえば洋服にお金をかけるようになったかな。ライブの本数が元に戻る前にこの感覚を元に戻さないと破滅する。まぁ破滅してもいいかな…(よくない)

 

ライブハウスという場所は!わたしにとってはどんな場所より社会なのですよ!結構これは未だに本気で思っていて、ほとんど学校に行ってなかったこともあるからなのかもしれない。大学もいってたけどあそこはほぼ個人プレーの場所なのでいわゆる「学校」というものとは違う感覚な気がする。

私の中で学校といえば教室にいつもの人が集まって授業を受けて(ひとつのものに集中する)、時には協力したり色んなものを好きになったり嫌いになったりする場所だと思っています。そう思うとほら大学ってなんとなく違うじゃん。そんでライブハウスってこんな感じじゃん。

私は高三のおわりくらいからライブハウスに行くようになったのだけど、本当に色んなことがあったなぁと思います。

仲良くなった人もいればすんごい劣悪な仲になった人もいるし、好きになったものも沢山あればきらいになったものもそれなりにある。皆が時間になれば同じものを見て、どう感じたかを喋ったり空いた時間には各々の生活のことを喋ったり。学校と圧倒的に違うのは色んな年代の人がいるということかな?そう思うとライブハウスの方が圧倒的に色んな経験をつめるきがする。年代も違うしみんな私生活も全然違うし、結婚してる人もいれば離婚経験あったりとか彼氏がいたりいなかったり子供とかもいたりして、へたするとその子供と遊んだりとかしてさ!もはや親戚。

 

わたしは学生時代の友人って本当に居ないんだけど、それが結構コンプレックスで悩んだりしたこともあるけど、いまこうやってできた仲のいい人たちとライブハウスでもライブハウスの外でも楽しく過ごせたらいいかと思ったらそのコンプレックスもわりとどうでも良くなったな。私が先に死んだら各位葬式に来て欲しい…。

本当に丸くなったな?と思ったんだけど、そうやって顔を合わせる人がそれなりに気を張らずに幸せを感じて生きて欲しいなとついこの間思ったことをその日のうちに書こうと思ったんだけどすっかり筆不精でほったらかしてましたがアウトプットも大事だよ!わりと最近は道行くちびっこにお菓子を買い与えてあげてもいいぜ!みたいな世界平和脳なので私に頼み事するなら今です。

 

次回 エヴァンゲリオンみました 乞うご期待

この前たまたまみてたMステできいたあいみょんのマシマロという曲がよくてあいみょんデビューしました。若いのにすごく曲数があるのできくのわりと大変。

 

売れてる人の曲ってなんかイマイチ聴く気にならなかったけどわりとそういうのもフラットに聴けるようになったな。売れてるものを売れてるだけで聴いてる人がでぇ嫌いすぎて売れてるものに対しての嫌悪感がすごいけど自分は別にそういう聴き方や見方をしないから面白そうと思ったらちゃんと見なよ!とおもいます。自分へのメッセージです。

 

わりと最近は穏やかに日々を過ごしていて、本当に精神が安定している。ちょっとこの3日くらい頭が痛いけどこれはよくあるやつ!こういう穏やかさが続けばいいなぁと思うのだけどそう上手くいかないのが人生!

全然話は変わるけどこの3年くらいでわたしは愛されてるなぁと思うようになりました。好きな人にちゃんと愛されてるというか。家族とか友達とかそういうのね。幸せに生きて欲しいよとかそういうことを言われるとわたしはとても幸せな人間だなぁと思うワケ!

わたしも私の好きな人には幸せになって欲しいし、それをちゃんと言語化して伝えたいなぁと思いました。おまえらLOVE。

私は可哀想な人間になることにすごく拒絶反応があるから、同情とかよりそういうふうに「なんでもいいけど幸せになれたらいいね。」みたいに言われる方がいいです。ていうかそうやって言う人はわたしの操縦方法わかってる。私の操縦方法わかってる人のこと私は好きです。

可哀想な自分を演出するのが好きな人もいるけど、悪いとは思わないけど私の中ではそれはとてもかっこ悪いし、言霊とか信じてるから可哀想を演出したらなんか本当に可哀想になってしまう気がするからわたしは嘘でも笑ってたいし、どんな時でも幸せを拾って生きていきたいよ。

 

私は私のために、私のためを思ってした事が私のことが好きな人のためにもなったらいいな!とおもいます。

 

そんなかんじ。

なんとなく気が向いたので私の好きな物を並べてみました。深堀していきます。順番に意図はありません。思いついたとおりに並べました。

 

パンダ

動物のパンダです。何故か昔から好きです。グッズなどはデフォルメされているよりリアルに近い方が好きです。いつか四川省のパンダ園に行きたい。その前に和歌山に行きたい。パンダが白黒の理由って竹林に紛れるためって言われてるんだけど(諸説あり)絶対意味わかんないよね。じゃあ緑になれや!という感じでは?白と黒なんて圧倒的に自然界に馴染まなさそうなのに。あ、でもシマウマとかいるか。

私へプレゼントを上げたい!でも何あげたらわかんない!という時はパンダグッズくれたらだいたい喜びます。

 

ファミレスや居酒屋

とにかく安くて美味しさが安定してるご飯屋さんって事ですね!オシャレなところはよく分からないし、高いところはテーブルマナー知らないわけじゃないけど自信が無いし、そうやって緊張しながら食べるご飯って美味しくないので。とにかく空気込みでおいしいご飯が好きです。あとお酒好きだから高いと躊躇して飲めなくてモヤモヤするからチェーン居酒屋が好きです。

 

PRONTO

これはカフェのPRONTOです。みんな大好きPRONTO。お酒ものめます!ケーキも美味しいしパスタとかも美味しい。あとどこにでもある。期間限定で出てたバナナミルクがすごくおいしかった。夏に出るドデカサイズの飲み物が好き。

 

洋服

特に好きなブランドがあるというわけでもなく好きな時に好きな格好をするのが好きだから洋服が好きという感じ。コロナになりめっきり予定を組むのもなかなか人や時間場所を選ぶようになったのでオシャレ不足です。

好きなブランドないと言ったけど最近はjouetieがすき!

 

自然より都会

これはインドアってことです。自然より人工物が好き。電車乗ったりするのも好き。虫も苦手。小さすぎず適度な大きさがある毛の生えた動物はすき。

ただ公園はすきです。

 

過剰装飾

ロリータとかそういうのです。自分じゃ着ないけどとても好き。シンプルよりごちゃごちゃしてた方が圧倒的に好きです。中野ブロードウェイのお店とかどれもこれもごちゃごちゃしてて好き。近場だとヴィレッジヴァンガードとかいいですね。ただ見てるだけでも本当に飽きない。自分の部屋もそうしたいけどすぐに汚くしてものを無くすので仕方なくシンプルにさせてます。

 

音楽

これも何が好きと言うのはなくて音楽全般が好きだなあという感じ。バンドも好きだし最近はインスト曲も聞くようになった。インスト曲だとイセノさんの作る曲が好きです。イセノさんの曲って映像込みでめっちゃすきなんだな。渦湯さんとちょくちょくコラボしてアートワークやって貰ってるのもいい。

あと近年は女性ボーカルとか好きよな〜とおもいます。相変わらず大森靖子ちゃんもすきだし、なんで近年好きになったかって自分の性自認が女だ!って明確になったのがここ数年だからだと思います。男か女かどっちだろう?ということじゃなく、あんまり自分の性別に興味なかったというか。女としての自分が好き!となったのがここ数年ってことかもしれん。そんな過去もあるのでこれから先変わる可能性も無きにしも非ず。

 

お笑い

これ昔から好き。小さい頃の写真で食い入るように新喜劇を見てるやつとかあるのでDNAに何かしらが刻まれてると思う。最近は地上波でもまたネタ番組増えて嬉しいですね。けどYouTube台頭の時代なのであまり関係なさげですね最近のハマりはシソンヌさんです。

 

気が強くてかわいい女の子

女の子は強くてナンボだと思っています。そしてかわいいは正義。かわいいでぶん殴れる女の子が好き。嫌なことがあっても「あーあ、でも今日も可愛いからいっか!」みたいな感じの子。だってわたし素敵だもん💗って思ってる女の子。大好きだし自分もそうありたいなぁとおもう。

 

水タバコ屋さんでちひろさんを読むこと

これは某はちぐらむ限定ですね。ていうか水タバコ屋はちぐらむしか行かないけど…。高円寺店にちひろさんが置いてあるんだけど、それを読むのが好きです。ちひろさんという作品自体も好きなんだけど、それを高円寺店で読むのが好き。就活中荒んだらはちぐらむにいって漫画読んでました。その節はお世話になりました。

 

ゲーセン

あると入るし絶対なんかやってしまう。ガチャガチャも好きだからなおのこと。寂れたのも好きだし最新鋭のSEGA!みたいなとこもすき。大きいものが取れるやつよりちっちゃいマスコットが取れるUFOキャッチャーが好き。やるのが好きなのでうちには色んなキャラのマスコットいる。

 

ルーズソックス

これはお恥ずかしながら20歳を超えてから履き始めました。ルーソの履き方で世代でるよね。わたしたちの世代のギャルは紺ソの上に重ねてました。暑くなかったのかな夏とか。お気に入りは120センチ。90だと物足りないヨ。平成初期文化ってめっちゃ好きなんだよね。ブームとか流行が回るって言うのはそういう事なんじゃないかなとおもいます。

 

オーバーサイズ

これはわたしが太ってたり自分に自信が今よりなかった頃の名残だと思います。体にフィットする服がどうしても嫌で、ダボダボの服ばっかり昔から着ちゃう。昔より全然痩せたし、なんなら最近筋トレして体が細くなったけど、けどというよりだからこそダボッとした服がさらに好きになった感じがあります。線が細い上にダボダボしてる服を着るととても綺麗に体のラインが出るんだよね。私なんかまだまだだけど、2ヶ月前よりかはかっこいいな自分と思うし、自分が嫌いだからこそ好んで着るようになったものを今では素直に愛せるようになった過程を好きでいたいなぁとおもいます。

 

広いより狭い

これまじそう。図体でかいわりに狭いところ大好きです。暗いとことかも好きかも。だから大きいお家にすんで〜とかいう願望も全然ないしなんなら一人暮らしするってなったらワンルームこじんまり(収納はバカデカでお願いします)がいいなぁと思う。店とかも個室居酒屋とかのあの感じとか好き。角っこにぎゅうぎゅうに座るのも好きです。

 

暑いより寒い

これは暑いのが圧倒的に嫌いだから寒い方が好きって言う感覚な気がする…。寒いと気合い入れたら動けるんだけど暑いとその気合いすら削ぐじゃん。まじでそろそろ夏のない国に行きたいレベルのやつ。今の日本って絶対に夏に活動しちゃダメだと思うんだよね。夏だけ全ての活動を辞めるか、外でも涼しいようにしてくれないとそのうち本気で夏休業し始めるぞ。

 

小説よりエッセイ

エッセイ読んでからその人の小説や他の作品を読み始めることが多いです。特に好きなのは大槻ケンヂさくらももこです。のばらちゃんはまたエッセイとは違う気がする…。あと吉本ばななさんのごはんのことばかりを100話ちょっと?とかいうエッセイはとてもお腹が空く。家族で囲むご飯とか、悲しい時のご飯とか、まるで自分が体験したかのような感覚を与えてくれるので良いです。

あと星野源の本も好きです。テレビなどで流れている彼の音楽は明るいポップスというイメージだと思うのだけど、彼自身はなかなかに陰鬱でそんな所に惹かれます。大きな病気をしていたこともあってその闘病記?みたいなものも面白いです。

 

テレビ

テレビっ子なんですよ今も昔も。一時期見なくなってたけど最近またすごく見るようになりました。個人的にはテレビにしか出来ない事ってあると思うから頑張って欲しい。けど自分自身もYouTubeとか映画のサブスクとかもめっちゃ見るので全盛期ほどでは。でもとりあえず地上波のうつるテレビを与えておけば静かにしてるくらいには好きです。

好きなドラマは相棒です。

 

シルバニアファミリー

1年ほど前から好きで集めてます。最近シルバニアコーナーの棚に乗らなくなってきてどうしようという感じです。SNSではあんまり出さなくなったけど眺めたり触ったりして遊んでます。そろそろ欲しいやつが発売なので買いに行きます。

 

相棒

ドラマのね!小学生の頃からオタクです!杉下右京が好きなので相棒が変わってもずっと見れる。時代に沿って物語を作るのが上手くて本当に飽きない。近年では変わることも多くて寂しいことも比例して多かったけどそれでも面白くてみちゃいますよね。

右京さんの自分の正義が確固としてある感じが好き。頑固者が私は好きなんだなぁ。あとやっぱりクレバーな変人が好きなんでしょう。

 

また思いついたら書こう!おわり

 

前回のブログ夜勤中に書いたので文章が所々おかしくてうわぁってなるね。

 

最近生きるとか死ぬとかにとても自分が敏感だなぁと思っています。なんででしょうね。わかんねーですけど。

わたしは他者に死ぬなよって言われることがすこぶる嫌いです。死にたい時は死ぬし、なんでおめーに言われなきゃいけないんだよ正論で殴るな。と言いたくなるし、性格が悪いので(自称すな)じゃあ遺言に「○○さんに死ぬなと言われて死にたくなりました。」って書いてから死んでやろうかとさえ思う。

いやもちろんそう言われたい人もいると思う。その方が多数派なのじゃないかと思う。わかんないけど。

 

なんで死ぬなって言われたくないかってわたしが猛烈に死にたかったことがあるからだと思う。

死にたかったけど死ぬのが怖かったし、今だって別に特に生きたい訳でもない。死ぬのも億劫だなぁと思うから生きてるところもちょっとあると思う。

 

鬼滅じゃないけど生殺与奪の権を他人に握らせるなですよ。ちょっと意味違うかも知んないけど。

死ぬことを他者に操られては行けないと思います。

まぁ死ぬことに限らず他者に何かを握らせることってあっちゃいけないと思うんだよね。

 

とくに死ぬことに関しては死ぬなと言ってこの世に縛ることも、死ねと言ってこの世から追放することもわりと簡単だと思う。簡単だからこそそれを放つなら責任もてよという話なんだよ。

たとえば人前に立つ人が死なないで僕とまた会いましょうとか言ったら死にたい人はどう受け止めたらいいんだろうと思います。まぁそんなのわたしが揚げ足取りしてるだけの所もありますけども〜!?少数派のことなんて考えてたらキリないですけど〜!!

 

ただほんと、死ぬなって言うことの効力みたいなさ、そういうの、考えて欲しいじゃん。言葉を放つことを生業にしているなら。

どうしてもどうしても死にたくてでも死にきれなかったりする時って人生あると思うんだよ。ない人もいるけど。

 

わたしはそうやって死にたい人に死なはないでとは絶対言えない。心の底から死なないでと思っていたとしても。

その人が苦しまず人生を全う出来たらいいなと思う。その結果が死ぬことならそれをとにかく肯定してあげたい。大声でそれで良かった!!と言えないかもしれないけど心の中でずっと肯定したい。出来たら死んで欲しくないけどね。

 

死ぬ以外に苦しみが取れる方法があったらそれば万々歳だね。その時は一緒に遊ぼうね。

 

 

逃げ恥を1年ぶりくらいに見返しています。

放送当時は大学生でした。ドハマりして何度も見返した結果この作品をテーマに卒論を書きました。具体的に内容は言えないけど自己分析も兼ねての卒論だったと思います。

卒論のためにも何度も何度も見返しても嫌いにならなかった。きっと一生心の中に残る作品だなぁと思います。

 

この話は社会的、恋愛的求められることと自己肯定感の紐付けみたいなものもテーマのひとつになっていると思います。

私の話をすると、わたしは自己肯定感でいえば強い方だと思います。ナチュラル強いでは無く強くなれ!とおもって強くした側面が大きいと思います。

ではそうすると「求められること」と紐付けした時にどうなるか。

私は圧倒的に恋愛的求められるに対しての自己肯定感がないのだと思いました。

原因は過去に色々あったことだろうと思うのだけど、その結果わたしはそんな人に好かれてしまう自分が本当に良くないと思うようになりました。たまに人に話すとべつにあなたのせいではないのでは?と大体の人が言ってくれるのでたぶん本当にそうなのだろうけど、こういうのって自分が納得しないとダメじゃないですか?

わたしは自分のことは好きだけど、自分が今まで生きてきた道のりややってきたこと客観的に見たら人類平均では誇れる人間ではない部類に入ると思います。自分が自分を好きなことと、他者から判断されることはまったく別だと思います。

そんななので、求められたことに対して全く肯定できないのだと思いました。だから恋愛をもはや無意識的に避けているのだと思いました。

 

そんなことを考えながら逃げ恥を見ていると

恋愛における自尊感情が低いあまり深い関わりを逃げようとする人

というワードが出てきました。これ卒論を書いた当時はまったく響かなかったのだけど、今になってすごく響きました。まさにわたしじゃん。

恋愛って身体的にも精神的にも一歩深い関係になることだとわたしは思っているのだなと最近認識しました。おそらく一般的にも大多数の人がそうだと思います。多分。

わたしは過去に土足で踏み込まれることが多々あり、それが原因でそういうことが嫌になりました。

今はそんなに嫌じゃないけど、なんとなく気持ちが進まないのはそうされることも嫌だし、反対に自分がそうなってしまう怖さみたいなものがあるからだと思いました。

いつからか傷つけられることよりだれかを自分が傷ついた状態と同じように、端的に言えば傷つけることが怖くなったんだと思います。ワガママですね。

人間なんて多少傷つき傷つけらだということは頭では理解してるのだけど。

 

だからわたしは傷つくことにも傷つけることにもある程度鈍感になるように意識しないと恋愛は出来ないのだと思いました。これ自分の中では相当の発見です。マイナスな事を書いてるように見えて、ようやくわたしがここを意識したら恋愛出来るかもしれないみたいな第一歩になった気がします。

ポジティブなことが必ずしも役に立つとは限らないな。

 

なんとなく脳がスッキリしたところでおやすみなさい。おきたら逃げ恥8話からみなおします。

なんかふと「そういえば私は神様だったのだ…」と思いました。宗教の話じゃないです。

 

数年前人生こじらせてグズグズしてた時に出会った人にわたしは世界を変えてもらったんだけど、その時に自分の神様は自分だということを教えてもらいました。以降わたしの神様はキリストでも好きだったあの人でもなく自分です。

 

私を取り巻く世界はわたしのさじ加減で全て決まるし、私は私のために生きてるってかんじ。たとえあの人のためになりたいと思ったとしてもそれはわたしがそうしたいからなので、結局自分のためなのだなぁ。

 

先天的た不条理に甘えずふざけんなよという気持ちをもって生きるべきだと私は思います。他の人は知らん!

 

なんかふとあーそういえばと思ったので書いといた。たぶん暫く思い出さなかったのはその思想に慣れてきたからだと思う。

 

今日も何とか!