13日の金曜日

やー!うまくかける気がしませんが書き留めておく。

 

良い、ただただ良いと感じることが出来て良かったなぁと心の底からおもえるライブでした。ありきたりなことしか書けないし、きっと実際ありきたりなことしか感じてないと思うんだけどさ。それでもいいと思えた。

 

マイノリティはマイノリティのまま変わらないけど、それをバカにせず理解もせず(重要)ただ笑ってくれるような人が周りにいて良かったなぁと思います。

 

なにそれ、わかんないよ(笑)

という言葉に何回も何回も刺されて殺されてそんなのが当たり前だから「わかる」という言葉には薄っぺらさしか感じないんだけど、そんな私だから「わかる」という感覚に対して強いあこがれを抱いてしまうし、だからこそわたしはenskに惹かれてしまったんだなぁと諦めにも似た気持ちがわきましたとさ。

 

私の言うことに対して「選民意識」だとか、そういうことをいう人がたまにいるんだけど個人的にはそんなもの持ちたくないと思ってる。だって邪魔でしかないし。そう思って生きていたら、その選民意識を肯定するような人がいて、これは持っていても良いものなのかもしれないという希望が生まれた。いや、いまだに無くせるものなら無くしたいと思うけど。(苦悩することの方が多いし)選民意識をポジティブに捉えられるほど真っ直ぐな人間でもねーし、飼いならせるほど大人でもねーし、持て余し十年選手みたいな感じだし。

昨日、初めてここがお前の死に場所だ!で最初から最後まで頭を降ってみたけど死ねなかった。

あんなに頭振ったら死ねてもいいのに死ねなくて少し残念だった。

死ぬこと以外かすり傷と思ってるけど、意外と重症でも死ねねーんだなと思うと結構絶望してたんだけどそれすらどうでも良くなるような感じだった。生きちゃうんだからしょーがねーじゃんみたいな。

22年生きてるんですけど、友達みたいな人と遊んだりするのって19歳までしたこと無かったんだよね。だから、まだそういう事の楽しみ方もよく分からなくて、ていうか基本的に楽しいことの楽しみ方があんまり分からなくて困る。

なかなか提示された楽しみ方に乗れないのは、幼児が積み木を変な形に積み上げちゃうようなのと一緒で「とりあえずこれがどんなもんが見てみたいんだ!」という結構単純な理由だったりするのかなと思うなどした。

でもまぁ自我は一丁前に22歳なのでその差が埋められなくて困るなって感じなのかもしれない。

そうやっていろんなことに絶望したりしてぐわーっとなって病院に駆け込んでも病名って貰えないんですよ。それなりに薬は貰えるけど。また絶望だよね。病気でもない不調が自分の中に蠢いてるってなかなか怖いよ。

 

もしも、でも、だって、みたいな言葉を羅列するのが得意だからどんなときも心の底から楽しむことがあんまり得意ではなくて、それが私の性質なのでもう変えられないんだと思う。でもまぁ、それでも良いのではないか〜と思えたし、また一つ個人的に無駄なゴミを捨てられた気がした13日の金曜日だったので、とても上々である。

 

とにかく、たぶんenskに巡り会っていなければもっとこの自我や絶望を飼い慣らすことが出来なくてどこかをカットしちゃったりしていたかもしれないけど、今のとこそんなこともなく、薬を飲めば落ち着く程度で収まってるわけだから、本当に上々な人生だと思います。

いや、そう思えてよかったね。ほんと。

 

以上です(:3_ヽ)_