論文『ビジュアル系バンド「えんそく」における世界観の考察』

 

 目次

 

 

 

 

はじめに

 

 本論はビジュアル系バンド「えんそく」が発表している作品を独自に考察したものである。作品同士の繋がりは勿論、作品に合わせた登場人物、世界線についても触れていきたいと思う。

 

 本論はえんそくのいちファンの考察であり、「正解」ではないことを念頭に置き読んでほしいと思う。

 

平成30年2月21日

 

 

 

えんそくとは

 

 本論で扱う「えんそく」とは、2005年、Ba.ミド中心に結成された日本のビジュアル系バンドである。

 メンバーはVo.ぶう、下手Gu.クラオカ ユウスケ、上手Gu.Joe、Ba.ミドの4人である。現在Dr.はサポートであり、通称モリヤマさんと呼ばれている。

 歌詞は主にVo.ぶうが執筆している。楽曲は近年ではメンバー個人の名前を出すことはなく、あくまで「えんそく」として出されている。

 ファンの総称は「E児(イイコ)」。ライブでは曲だけではなく茶番と呼ばれるコントのようなものも披露される。

 聴き応えのある音源も然ることながら、迫力のあるライブパフォーマンスが最大の魅力であり、えんそくの本質はライブハウスに行かねば知れないと言っても過言でない。

 

 

 

楽曲別考察

 

 えんそくの世界観を知るためには先ず、楽曲への理解を深めなければならない。本章では楽曲別に考察する。そしてえんそくの世界観を構築するためのキーワードをピックアップしていく。

 

『橙々電車』

えんそく1st SINGLEである『高尾行き』。この音源のリード曲がこの『橙々電車』である。本楽曲に登場する橙々電車は中央線であり、えんそくの世界観に欠かせないキーワードとなる。この曲と対に(またはペア)なる曲がFORCE MINI ALBUM 「えんそくの大予言」に収録されている『朱色一号』である。

『橙々電車』では隣の家のおねえさんが朱色一号になるまでの過程を歌っている。隣の家のおねえさんは自分の生まれ育った世界に愛想を尽かし、橙々電車(中央線高尾行き)に乗り、行く先を決めず切符を捨て旅に出る。しかしその旅は堂々と出発したものではなく、「人生虚しかった」と言いながら、絶望しながら出た旅であった。そんな隣のおねえさんを陰ながら好いていたボクは、改札に入り切符を捨てたおねえさんの後ろ姿を見ながらも何も出来ずにいる。ボクは、雨が降る日も風が吹く日もひっそりとおねえさんの横顔を見ていた。

この曲には後に出てくる様々な曲の要素が現れている。まずは「切符を捨てる」という行為だが、『最後のえんそく』の歌詞である「ただいまを捨てる」と同意義であると考える。切符を捨てるということはいま来た改札口に戻ることも、到着した駅からも出られないからだ。

 

『となりのオロチ』

この曲に出てくる「オロチ」とはヤマタノオロチをモデルにしたキャラクターである。四方八方にいい顔をしてみんなから愛されたいと願っている、しかしなにか物足りなさを感じている女の子だと考えている。

 この楽曲に出てくる「雨傘」は、『天獄への十三階段』に出てくる「傘もなく取り残された」の「傘」と同意義と考える。

 

『少女怪獣バンギャルラ』

「目を開けてみる夢は諦めるしかないなんて」というセリフは、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」後半、不死者に扮したえんそくがウシノシタ団の見る夢だったという部分が明かされた「実は、雪に埋もれて眠っていただけですべては夢だったのである!」というセリフに通じていると考える。

「薄紅色 狂い咲いた花」は『怪人ラボの夜』にも登場する。キャラクターとしての少女怪獣バンギャルラは1st MINI ALBUM『東京行き』にも通じる。

『ぱやぱや』とセットの曲であり、バンギャルラが物語パート、ぱやぱやがメッセージパートである。(ぶうブログ参照)

 

『イガトラ』

マルコム、マッケンローに並ぶえんそく用語である。詳しい考察については「特筆すべきワード」にて。

本楽曲に登場する戦略十訓とは、広告会社である電通に存在する「こうすれば消費者をいのままに操れる、踊らすことができる」という戦略を十か条にまとめたものである。

1.もっと使わせろ

2.捨てさせろ

3.無駄使いさせろ

4.季節を忘れさせろ

5.贈り物をさせろ

6.組み合わせで買わせろ

7.きっかけを投じろ

8.流行遅れにさせろ

9.気安く買わせろ

10.混乱をつくり出せ

「君を躍らす戦略十訓なんて蹴っ飛ばす為ゆくんだ」という歌詞はそんな誰かもわからないヤツが提示してきた躍らされるための規則なんて蹴っ飛ばす、そんな意味が込められていると考える。

 

1st MINI ALBUM『東京行き』

 『東京行き』のみ、ひとつのアルバムをひとつの作品、楽曲として扱い考察する。1曲目から最後の曲まで世界観やメッセージが一貫しており、えんそくの作品に強く感じられる、この世界をうまく生きるための教訓的メッセージというよりも、フィクションとしての作品としてのイメージが強い1枚となっている。リリース当時、中盤3曲に合わせた土地でワンマンを執り行った。バンギャルラの要素を多く含んだ音源となっている。

 本作品の登場人物は主に2人である。本論では男と女と定義するが、女は途中しゃちほ子に変化する。

『the smoking sad tune』は起承転結の起にあたる曲である。男目線の曲であり、舞台は仙台であると思われる。死んでしまった愛する女と、自分の吐いたタバコの煙を重ねる描写が特徴的である。『ハイウェイ・スター・ラブ』は起承転結の承転の部分に当たる。目線は女。舞台は名古屋。死んだ女の魂がしゃちほこに乗り移り男に逢うために東京に向かう。『ハイウェイ・スター・ラブ』は、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」にて無料配布された際に、東京行きを通しで聴かなくても成り立つよう『ハイウェイ・スター・ラヴ』として再録されている。『東京駅着、逢魔時。』は起承転結の結。舞台は東京。男と女、両者の目線が入り混じって描かれている。リアルタイム感のつよい楽曲だ。『Star ray conjunction』は番外編というような扱いになると感じた。581cというワードが初めて出てくる楽曲にもなっている。

 

『ボクラノ、ハコブネ』 

 現在のえんそくにも通じるワードが多く見られる楽曲になっている。物語よりも教訓的なものが強く出ている。

 

『大銀河戦艦ナガト』

前作『銀のハコブネ』が『大銀河戦艦ナガト』で終わり、本楽曲が収録されている2nd ALBUM『新世界』の本編が同楽曲で始まる。元いた世界からナガトで飛び立ったえんそくが次にたどり着いた新世界、という流れになると考えている。それぞれの世界線で名前が変わり「(銀の)ハコブネ」「UFO」「ナガト」はすべてイコールであると考える。

 

『鋼鉄のMACHIKO~惑星マンダラ戒律地獄篇~』

信仰の安堵、というのは例えばほんのすこしの居心地の悪さを我慢して居続ける教室だとかそういうものだと考える。孤独で居るということは、群れているよりもずっと疲れるものである。群れるということは、そういった日常を生きる上の面倒臭さから生まれる疲れなどを排除してくれる。本楽曲に登場するマチコはそんな面倒臭さや疲れを感じてでも孤独を愛するプライドの高い女の子である。

 

『581c』

登場人物は男子。『鋼鉄のMACHIKO~惑星マンダラ戒律地獄篇~』の主人公と同質の何かを持っている人物だと考える。「朝日さすまで踊り明かすだけ」という歌詞は、『カミュの左手、カフカ右手』の世界観にも通じる。

 

『とってもマッケンロー』

「だいたいが先天的な不条理を抱え」という歌詞に、後天性ならそうなってしまった過程を呪うこともできるが、先天性なら親すら憎んでもどうにもならないえんそくの世界観の「不条理とは」ということを歌った曲だと感じる。「どうしようも無い程JJサニーDAYS」という歌詞に上記の不条理の全てが詰め込まれていると感じる。

 

TDL

「死ぬために歩くだけのパレード」は、『U.F.Oが来るまで』に登場するパレードと同意義だと考えている。アルバム『カミュの左手カフカの右手』に収録されることで、更にこの楽曲の意味が増すと考えている。

 

『君の左手ボクラの右手』

『ゴリラの丘』に通じていると考える。この曲で離した手を『ゴリラの丘』で繋ぎなおしたのではないかと考える。

「いつか辿りつけたなら君と世界中のボクを今度は終わらない物語に招待するよ」は『宇宙大天使土曜日』の「終わりなき終末」なのではないかと考えている。

 

『その後のペテン師』

衣装からわかるようにオズの魔法使いがモデルであり物語の主な目線はインチキ魔法使い。カミュカフカの終演を告げ、次のターンへの誘いとする楽曲。

 ボロボロになった魔法の靴を履いたドロシーが「あの頃バカやってたみんなは離れ離れになったあとどうしたの?」と、問いかけること始まる曲。この楽曲付近から「永遠」や「ペテン」等が出てくる。

 

『最後のえんそく』

「青い鳥を愛でながら あたりまえに死ぬがよい」という歌詞は童話の青い鳥から由来すると考える。青い鳥のあらすじは、「夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を捜しに行く。しかし、結局その幸せは自分たちの身近な鳥かごの中にあった。」この曲ではそんな物語に「鳥かごの中のあたりまえの幸せだけにしか気が付かない、かわいそうな人達よ、そのまま死んじゃえよ。」と、皮肉で返していると考える。

 

『コドナチャダルド~人生の続編~』

 コドモ+オトナ=コドナ、チャイルド+アダルト=チャダルド

 もっと飛べ!とこちらに訴えかけているような曲。終演後のペテンに引き続き、「詐病」というペテン要素を感じられる。メンバーコーラスや、力強いギターソロなどもコドナ付近から出現する。現在のえんそくの大きなくくりでの形が定まったという印象を感じる。

 

ツンドラの暴君』

雪に埋もれた=真っ白何もないというワードからリセットされた、というような意味がある曲だと感じた。えんそくがはみ出し者の先導者として新たな国、世界観を確立させるための曲だと考える。

 

『改造人間「人間改造ニンゲン」』

ここから人々を改造してセカイを変えてゆくその第一歩となる曲をとある少女の目線から歌った曲。ウシノシタ団総統閣下が自身を街中の泣き出しそうな心をキャッチして改造するために改造してしまう、という先導者、カリスマ感を全面に出した歌詞構成になっている。名前にMのつく少女が台頭してくる。

 

『デジデリオ』

モンス・デジデリオ「世界の終わりを描く画家」がモデルになっていると考える。「世界が終わり すべてが無くなったらまたねきっと」は狂い咲く春の始め方(世界の墓地からこんにちはの棺桶を叩いて死者を蘇らせる部分)に繋がっているのだと考える。『怪人ラボの夜』が続編的な楽曲になっている。

 

『ゴードン』

改造人間に改造された少女のお話。改造された戸惑いから、はみ出し者として突っ切るまでが一曲に収められている。

 

『1999年のブルース』

「それが宇宙人だって」という歌詞の宇宙人は宇宙貴族なのかと思う。

 

『正しい世界の終わり方』

前作『惡童のススメ』にもう1曲入るはずだった、という曲。

巨大な怪獣=バンギャルラ、世界の人々が発狂=コドナチャダルド

大雪=ツンドラ、隕石=アンゴルモア、妄想やペテン=ペテン

 件(くだん)はそのまま妖怪というわけではなく、泣き声をあげることすらできずにいるマッケンローや今迄やこれからえんそくの物語に登場するえんそくの世界に生きるキャラクターの比喩だと考えている。

 

『異聞・正しい世界の終わり方』

件の口枷を外す、ということはこの俗世から解き放ち、『金曜日のチェンソー』の「全部切り捨て飛べるまで」という部分につながると考える。そして「平行宇宙同士の不干渉という真実が覆す新しい世界システムの構築」というのは『天獄への十三階段』に登場する「その艦隊は分岐する可能性の先の平行宇宙から『今』この世界に集まってきたのだと言う」という部分に通じると考える。

 

『宇宙大天使土曜日』

この楽曲の大元は西洋占星術だと考える。そして『アリス・エクス・マキナ』にも通じる。西洋占星術によると、「魚座が象徴する宗教や政治、物質による支配の時代から水瓶座が支配する個人(アートマン)や精神性、自己理解などの解放の時代へと移行する。」「土曜日」はユダヤ教では宗派によらず、「安息日」である。安息日サバトと呼ばれ、「何もしてはいけない日」と定められている。曜日は土曜日に当たる。

12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」にてVo.ぶうが2月13日生まれの水瓶座になったということは、えんそくは水瓶の時代に移行したということになる。(実際私たちが生きているこの世界も西暦2000年から水瓶の時代に入っている。)この「水瓶の時代」は物質的な制限を超えて進化していく時代である。情報(音楽)は宗教や政治(ジャンル)の域を超えて広がり、一部の人(この場合えんそく?)が見出した心理や真実も一瞬で世界に広がっていく(狂い咲く春のはじめ方の種)。己と向き合う時代になる。この部分は『アリス・エクス・マキナ』のアートマンブラフマンにつながる。

 

『朱色1号』

『橙々電車』とペアと考え、物語はリアルタイムでその頃よりも9~10年経過していると考える。歌詞に登場する空飛ぶタイムマシンモンスターは宇宙貴族の乗るUFOであると考える。『天獄への十三階段』に登場する高尾山から死にきれず降りてきた少女は朱色一号と考える。

 

『U.F.Oが来るまで』

本楽曲で「パレードに紛れ込む」ことを初めて行う。パレード(つまらないくだらない世界)に馴染んでいるように装っているとはいえ、紛れ込んだということにえんそくの変化を感じ取れる。

上記の「紛れ込む」や「できる子ばかりにすり替えられていく」は『惡道に死す/そして計画は続く』『天獄への十三階段』の身代わり人形が種明かしだと感じた。

 

『イン・ザ・マリオワールド』

丘で出会った天狗は宇宙貴族だと推測する。高尾山にはUFOや宇宙人の都市伝説が昔からあることで有名だ。「戻れないよ 知りすぎたみたい」という歌詞は、ハミ出すことで得た自由から戻れない、高度なアンテナを手に入れたことで気がついた真実から逃れられないという嘆きだと私は解釈している。セカイが狂っているということに気が付いてしまった、だれかに気付かされてしまったことでどんどん生き辛くなって、普通に息ができなくなったり笑えなくなったり、街を歩くすべての人がバカに見えてしまう、そんなところから「戻れないよ!」と歌っているのではないかと考える。「もっと上の方まで」という歌詞は、そんな悲観的な想いすら考えないでいい域まで、気持ちも歌っていると考える。

 

『世界の墓地からこんにちは』

えんそくなりの『リルカの葬列』だと感じた。この音源のジャケットに咲き誇る花はケシの花であり、「笑って挨拶握手をしよう」は「テムポ正しく握手をしませう」だと考える。。

世界の墓地は狂った世界であり棺桶である。

『アリス・エクス・マキナ』(タイプ別)

デウスエクスマキナは「機械仕掛けの神様」という意味である。神をアリスと言う名の少女に置き換えて、えんそくは新たな神様を創り出した。

 

A(アートマン)タイプ

アートマンは「個」。その名の通りジャケットは1999タイプすべてが違う。AliceタイプでAタイプとする。アリスの目線からペテン師や世界を見ていると考える。

Aタイプでの「泣かないで笑おう」という歌詞はアリスの心の中での決心。ペテン師の手を騙されてでも握り続ける覚悟が伺える。「焦がれていたあの物語」は1999タイプのアリスと同じように、ひとりひとり違う、自分の思い描いた理想郷が正解であると考える。「二千年先へ続く新たの物語」この二千年は宇宙大天使土曜日に出てくる二千年に通じる。

 

B(ブラフマン)タイプ

ブラフマンサンスクリットの「力」を意味する単語からきている。物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する。つまりペテン師も機械の一部として犠牲になっている。

BはBuuのB。えんそくの物語でペテン師を演じるVo.ぶうから見た物語。どんな手を使ってでもアリスを笑わせ続けるよという意味合いを見いだせる。

永遠の夢見る異形の少女は『正しい世界の終わり方』に登場した件だと考える。アートマンブラフマンともに機械の一部として存在するため、両者に差や区別はないと考える。

 Bタイプはカップリングの入ったいわば通常バージョンとして扱われるので、「力」の名の通り、イイコ以外に布教されるならこちらのバージョンがまさにえんそくの「力」になる。

 

AB (アブレスト)タイプ

アブレストの意味は「横に並んで」つまりペテン師とアリスが横に並んでいる、ということになる。アリス・エクス・マキナは二つの機械からなる壮大な装置。アリスは機械の一部となっていることはわかりやすいが、ペテン師もじつは機械の一部、2人は並んで同じ機械(世界)の歯車として生きている。アリスは狂った世界に背いてペテン師と並び、夢見る機械として生きている。

 

『12モンスターズ』

「ボクが夏空見上げながら 夢に見ていた 落ちてこなかった星の代わりに」という歌詞に登場する「星」というのは1999年のアンゴルモア(ノストラダムスの大予言)、またはUFOは燃え尽きる寸前の星とも言われているため、UFOであることが予測できる。

世界を終わらせてくれるはずだった世界滅亡説やUFOなどの「希望」に代わってえんそくの作り出した怪物(曲や思想)を世の中に落とす物語となっている。

 

4th MINI ALBUM『惡道に死す』

「今のえんそくが描くカミュカフカ」という印象を受ける。まず歌詞カードだが、ミラーボールが月になっている。そして柵。この柵は歌詞カードをめくるたびに近づいてくるのでよく見てほしい。アルバムが進むごとに柵越えが近くなっている、ということを表しているのではないかと考える。表紙は件(くだん)の頭が開いて、その中はビル街=狂った箱庭ということなのかなと感じた。

 

『ここがお前の死に場所だ!!』

 歌詞をよく読むと、いままでの様々な楽曲からきたメッセージや、「金曜日のチェンソー/天獄への十三階段」への伏線が詰め込まれている。主に『狂い咲く春の始め方』から多くキーワードを持ち込んでいる印象がある。

 

『屠殺屋マン4号』

「連れ出して柵の外へいつかの夜のようにまた」という歌詞から、主人公はウシノシタ団に出会いひとつ飛び抜けたのだと感じた。しかし飛び抜けた先にも柵があった。『インザ・マリオ・ワールド』の「上りきれば丘だった」という部分にも通じる。「今はどこかであの頃の私に似た誰かの為のヒーロー 二度とは戻れないってことわかってる それでも待ってる」という歌詞は、あの時救ってくれた惡のミカタは今はあの頃の私に似た誰か救うためのヒーローをしている。だからあの頃のヒーローは今の私を救ってはくれないけど、それでもあの時に救ってくれた惡のミカタに似た新しいヒーローを待っているわ。というような解釈ができる。このことから、初期ウシノシタ団と後期ウシノシタ団は全くの別物という扱いをして良いと考える。

 

『そして計画は続く』

大計画と「Die計画」をかけている。《13番目の刃で殺し上手》は『金曜日のチェンソー』であると考える。

 

『金曜日のチェンソー』

 「咲くまで飛ばす」という歌詞は「柵まで飛ばす」と掛けてあるのではないかと考える。「化けろ!マッケンロー!」は「12モンスターズ」の「暴れだして!」の部分にも通じるのではないかと感じた。「何も知らぬまま混ぜ合わせた」はイルキメラキッドの「ダメだ混ぜちゃってものも なんでも混ぜちゃう」に通じる。このチェンソーは「屠殺屋マン4」号の肉屋のNo.4が使っていたもの。

 

天獄への十三階段』

 「霧雨の不条理」という部分は『USJ』の「気づけば濡れちまうような霧雨の寂しさが」という部分と同じ意味合いだと考える。2015年の夏の終わりは宇宙貴族からネクロマンサー。不死者の者たちへと物語がバトンタッチ(しかし夢オチ)された時である。2015年の春、「朱色一号」は高尾山に登った。しかしその少女は死にきれず高尾山を降りる。中央線のホームで見知らぬ男たち(ウシノシタ団)に待ち構えられていた。ホームまで行っているということは元いた街に戻ろうとしていたと言うことではないかと考える。「U.F.O.がくるまで」で「誰か替わってくれ」と願っていた誰かのためにようやく身代わり人形が用意された。「作られた神」は「大人たちが取り繕いごまかしたこの世界」である。UFOと歌詞カードでは書かれているが実際の曲中ではハコブネと歌っていたりなど、このおよそ2年の間のえんそくの物語の答え合わせだけではなく、それ以前での不明瞭だったものが明確になったりする。

 

 

 

えんそくにおける世界観の考察

 

・つまらないくだらない世界

 えんそくにおける「つまらないくだらない世界」とは、マルコムの生きる世界を指す。この世界は己の世界を見る目線を変えてゆけばフィルターがかかり、自分の都合の良いように見ることが出来るようになると考える。

 私の考えるこの「つまらないくだらない世界」とは、なんとなく生きることだと考える。この世界は誰しもが持っているものであり、個人差がある。ある人は学校、ある人は家庭など自身の感じるやるせなさ、虚無感、理不尽と思う気持ちの向く先が「つまらないくだらない世界」だと考える。

 

・美しい世界

 えんそくにおける美しい世界とは、ひとりひとりの思い描く理想郷を指す。しかし、けして「働かなくて良い世界~」などというものではない。えんそくの物語上では、花咲く丘、銀のハコブネが旅立った先、天獄への十三階段を登りきった先と考える。

 

・Mのつく少女たち

 えんそくにおいてイニシャルにMがついた少女たちは重要な存在と言える。マチコ、マイコ、マリコ全てマルコムではなくえんそくの世界に生きるマッケンローだということは歌詞を読めば理解できる。マチコは気高くひとりで生きていくことを決意している少女、マイコはつまらない世界に愛想をつかせただいまを捨て高尾山に向かった少女、マリコは改造人間「ニンゲン改造人間」に改造されてしまった少女(またの名をゴードン)である。固有名詞は出てこないが、少女戦闘員のMもそのひとりである。件やアリスもMであると考える。

 

・えんそくの世界線

 えんそくでは「平行(並行)世界」というワードが鍵となる。平行世界とは、パラレルワールドとも言い、この世界から分岐しそれ平行に存在する別の世界(時空)のことを言う。えんそくにおいてこの平行世界が顕著に現れたのは『えんそくの大予言』以降である。

 まず、『えんそくの大予言』(以下大予言)から触れてゆく。大予言では宇宙貴族をテーマとした衣装を身に着けていた。彼らはこの世界ではない別の世界、まさに平行宇宙からUFO(銀のハコブネ)に乗りやってきた。特にこの要素が表れているのは『宇宙大天使土曜日』である。アセンションサバト、花が咲く丘などというワードがその理由である。アセンションとは、上昇という意味を持つがこの場合は次元上昇から見てフォトンベルトに関連があると考える。フォトンベルトとは、フォトンのベルトがこの世界を覆い天変地異や霊的な変化をもたらすと言わせている。地球外生命体や、2012年の世界滅亡説と関連があると考えられている。『天獄への十三階段』ではこの世界はすでに終わっているとされている。すべてが時空の狭間の幻、とするならこの世界はもはや世界ではないのではないだろうか。そして同楽曲内では群れなす船(UFO)のことを天獄と呼んでいる。

 話を変え、五次元について考えてみる。五次元とパラレルワールドは密接な関係にあると考えられている。五次元の定義は「時間軸が無数にある」とされている。時間軸とは、過去現在未来の一線であり、それらが無数にあるということはパラレルワールド、平行世界の定義と同等なのではないかと考える。2018年5月5日発売の『5次元よりの使者』は、えんそく自身が使者として5次元から現れるということではないだろうか。

 えんそくにおいて次元=世界とするならば、先に5次元に向かったえんそくが使者として現れた、つまりわたしたちはまだ5次元(天獄)には足を踏み入れてないのだと考える。

f:id:BAKUBAKUtbrz:20180221221321j:plain

魚座水瓶座の時代について(5次元への誘い)

 スピリチュアルの世界では魚座水瓶座の時代というワードはとても需要になってくる。魚座は支配の時代であり、いうなれば自由ではないということになる。水瓶座は支配からの解放の時代である。ルールなどに縛られず自発的に自分の役割を見つけ、自由に動くことにより秩序が生まれる時代である。えんそくに当てはめれば、12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」終盤の2016年2月では死んだと思われた総統閣下が生き返り誕生日も2月(水瓶座)になっている。つまりあの瞬間からえんそくは何にも縛られない自由の時代に突入したと考える。

話は12モンスター『魚座ナサニエルのテーマ』に変わる。この曲では「春が来たら生まれて死に向かうよ」という歌詞がある。同テーマは2017年3月までとし、翌月から新生ウシノシタ団がお披露目されることになっていた。未熟児だったおもちゃの王冠を被った(コドナチャダルド)のちの惡王様(総統閣下)は、永久の眠り(ネクロマンサーは夢オチ)で隠されていたが、春が来たら死(4月)に向かうために生まれるという解釈ができる。その後の歌詞には「ボクラは一足先に街を襲ってぐちゃぐちゃに!」とある。上記すべてのえんそくは全て違う世界線のえんそくであり、その様々なえんそくがお互いの世界線のくだらないつまらないものを壊し合い成り立っているのではないだろうか。5次元というのは平行世界の存在を認めることであり、それを認識すると『魚座ナサニエルのテーマ』の歌詞にも納得が行くのではないだろうか。

このトリックを成立させるためには魚座から水瓶座への移行は必要不可欠な要素だと考える。

 

・えんそくにおけるサバトの扱い 

 えんそくにおけるサバト安息日を指すと考えられる。『宇宙大天使土曜日』にて「なにもしないことをしてみないか」という歌詞があることが理由として挙げられる。『宇宙大天使土曜日』がリリースされた時期に行われていた12ヶ月連続ワンマン「狂い咲きハルマゲドン」も、本来の安息日同様、土曜日に開催されていたこともあげられる。

 しかし魔女、あるいは悪魔崇拝の集会としての「サバト」として扱うことも可能ではないだろうか。こちらのサバも同じく土曜日の夕方付近までの時間で行われる。さらにえんそくのファンの多くは女性であることが挙げられる。(魔女は時にして男の場合もある。)この場合のサバトは信頼のおける情報が少ないが、「サバトの出席者は山羊の背中に乗って飛来する(中略)そして背中を合わせるようにして円舞を踊る。」とある。まさに近年のえんそくのライブに似たものがあると感じた。

 

 

最後に

 本論はえんそくがその道を進める毎に加筆修正されるものである。そのため、「最後に」という項目があることは正しいとは言えない。本論に本当の意味での「最後に」が執筆される時はえんそくがただいまを手に入れたときだと筆者は考える。そんな日が来ないよう、今日も私は呪うように祈っている。