世界の終わる前に僕は

いろんなアーティストの楽曲で「世界が終わる」「世界の終わり」「世界を壊す」などというワードが使われますね。

わたしはその世界がこのまあるい地球のことなのか、例えば嫌なことがあったから地球がなくなればいいのにな。的なものなのか、それとも個人がみている様々な感情や価値観のことを指すのかをできたら知りたい派の人間です。

 

まぁほとんど後者なのかなと思いますけど、それは作った人にしか分からないですから。

 

私は世界を壊しがちな人を好きになりがちである。

なぜなのでしょうか。きっと自分では壊せないからでしょう。結局最後は自分で壊さなくては行けないのですが、そのきっかけをどうにもうまく作れないからでしょう。

 

悩みとか、漠然とした不満とか、そういうのが溜まるのは自分で世界を壊せないからです。

壊すためのすべを知らないからです。

空にグーパン一発お見舞してもこの世界は壊れません。

じゃあどうすれば世界を壊せるのか。それはもういまある価値観をひとつずつ捻り曲げるしかないのだと思います。

かと言って自分で価値観を変えようと思ったらなかなか難しいです。本や映画、そのような自主的に摂取しないといけないものは、価値観は変わりますがなかなかに時間がかかる。

選び方を間違えればなんの役にも立たない。

そして意図的に摂取したものより偶然出会ってしまったものの方がはるかに打撃がある。

フォーレのグランバで出会ったRNAのお洋服や、泣きながら駆け込んだライブハウスにいたバンドとか。

 

私は個人が持っている世界はひとつではないと思っています。悩み、不満、喜びの数だけあると思います。

悩みが尽きないように喜びだと感じるものも無数にあるわけで。それらの感じ方、受け取り方が変わる度に私は世界を壊してもらった、変えてもらったと認識しています。

 

そんな世界の終わりは不意に来るのです。

きっと予言なんかなくて、突然隕石が落ちてくるとか、大津波が襲ってくるとか、そんなんだとわたしはおもいます。

 

世界が変わったあの日の前夜、わたしは何を考えていたでしょう。

 

 

そろそろ痩せたいな、本が読みたいな、明日のお昼は何を食べようかな、新作のコンビニアイスが発売日だな。

 

 

きっとそんなもんでしょう。

 

だからこれからも、いつ来るかわからない世界の終わりを、日常を営みながら想うのです。