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逃げ恥を1年ぶりくらいに見返しています。
放送当時は大学生でした。ドハマりして何度も見返した結果この作品をテーマに卒論を書きました。具体的に内容は言えないけど自己分析も兼ねての卒論だったと思います。
卒論のためにも何度も何度も見返しても嫌いにならなかった。きっと一生心の中に残る作品だなぁと思います。
この話は社会的、恋愛的求められることと自己肯定感の紐付けみたいなものもテーマのひとつになっていると思います。
私の話をすると、わたしは自己肯定感でいえば強い方だと思います。ナチュラル強いでは無く強くなれ!とおもって強くした側面が大きいと思います。
ではそうすると「求められること」と紐付けした時にどうなるか。
私は圧倒的に恋愛的求められるに対しての自己肯定感がないのだと思いました。
原因は過去に色々あったことだろうと思うのだけど、その結果わたしはそんな人に好かれてしまう自分が本当に良くないと思うようになりました。たまに人に話すとべつにあなたのせいではないのでは?と大体の人が言ってくれるのでたぶん本当にそうなのだろうけど、こういうのって自分が納得しないとダメじゃないですか?
わたしは自分のことは好きだけど、自分が今まで生きてきた道のりややってきたこと客観的に見たら人類平均では誇れる人間ではない部類に入ると思います。自分が自分を好きなことと、他者から判断されることはまったく別だと思います。
そんななので、求められたことに対して全く肯定できないのだと思いました。だから恋愛をもはや無意識的に避けているのだと思いました。
そんなことを考えながら逃げ恥を見ていると
恋愛における自尊感情が低いあまり深い関わりを逃げようとする人
というワードが出てきました。これ卒論を書いた当時はまったく響かなかったのだけど、今になってすごく響きました。まさにわたしじゃん。
恋愛って身体的にも精神的にも一歩深い関係になることだとわたしは思っているのだなと最近認識しました。おそらく一般的にも大多数の人がそうだと思います。多分。
わたしは過去に土足で踏み込まれることが多々あり、それが原因でそういうことが嫌になりました。
今はそんなに嫌じゃないけど、なんとなく気持ちが進まないのはそうされることも嫌だし、反対に自分がそうなってしまう怖さみたいなものがあるからだと思いました。
いつからか傷つけられることよりだれかを自分が傷ついた状態と同じように、端的に言えば傷つけることが怖くなったんだと思います。ワガママですね。
人間なんて多少傷つき傷つけらだということは頭では理解してるのだけど。
だからわたしは傷つくことにも傷つけることにもある程度鈍感になるように意識しないと恋愛は出来ないのだと思いました。これ自分の中では相当の発見です。マイナスな事を書いてるように見えて、ようやくわたしがここを意識したら恋愛出来るかもしれないみたいな第一歩になった気がします。
ポジティブなことが必ずしも役に立つとは限らないな。
なんとなく脳がスッキリしたところでおやすみなさい。おきたら逃げ恥8話からみなおします。